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松平定信の寛政の改革(備忘録)
寛政の改革
経済政策
通説の株仲間を悉く解散させたというのは誤りで、物価安定のため大部分は存続させている。
勘定所御用達⇨新興の豪商を採用(半官半民)、田沼期の門閥商人は処罰
勘定所御用達に公金貸付を行い、利益を得る
南鐐二朱判(銀)を西国へ流通させる
酒造を視察。上質の酒を造り、上方に対抗。
廻米納方御用達⇨米価の調整
田沼時代の既得権益を排除しつつ、田沼の政策を引き継ぐ
幕臣対策
先祖書きの提出⇨寛政重修諸家譜
棄捐令
札差(ふださし)→俸禄米の管理・武士に高利貸し
借金を帳消し・年利を下げる
(猿屋町御貸付金会所⇨札差に融資して救済)
異学の禁
幕臣の風紀の乱れは異学が原因と仮定
幕臣教育は朱子学に統一
学者の反発も(学問の弾圧と捉えられた)
国学者・塙保己一の講談所の建設費用出資
あくまで公の幕臣教育の一本化であり学問の弾圧ではない。
農村対策
荒地起返ならびに小児養育御手当
⇨豊かな農民に公金を貸し付け利金を困窮した農村に充てる
郷蔵・囲い籾
⇨富裕層農民が多く負担、中下層救済
一揆対策⇨全国に切り捨て許可
大名へ出兵要請
⇨武士の権威回復
都市対策・文化弾圧
七分積金
町入用を節減⇨物価下げに期待⇨備考貯蓄に方向転換⇨積金へ
天保期に大規模な打ち壊し発生せず
明治維新後・渋沢栄一が運用
奢侈抑制
『物価論』食糧不足の原因は奢侈⇨商人が増えすぎて農業従事者が足りない
茶屋での売春禁止
雛人形・銀製キセルの販売者処罰など
遊興にふける留守居組合解散
出稼ぎ奉公制限(陸奥・常陸・下野)
旧里帰農(推奨)令
⇨旅費・食費・農具代を与える
出版統制令
・恋川春町
・朋誠堂喜三二
・山東京伝
・蔦屋重三郎(財産半分没収)
・林子平(海国兵談)
人足寄場の設置
隅田川河口にある石川島に人足寄場を設置。
具体案を出したのは長谷川平蔵。
打ちこわしを起こしかねない無宿人(元犯罪者や宿を持たない者)などを収容して職業訓練を施し、土木工事などにあたらせる。
更生したら蓄えた労賃を与えて釈放し、社会復帰させるというもの。
※YouTubeではこの「人足」という言葉が差別用語に認定されかねないので、カットしました。
対外政策
蝦夷地を巡る対立
そのままにすべき⇨開発するとロシアを刺激する(定信)
VS
ロシアに奪われる前に支配を(忠籌)
支配はせずアイヌと貿易
軍備強化
江戸・長崎に大筒稽古場
ロシア・ラクスマン
大黒屋光大夫の返還と貿易交渉
長崎へ行くように⇨江戸の海防に不安要素
ラクスマン長崎へ行かずに帰国
『鎖国』の先例となる
朝廷対応
光格天皇
朝廷の威信上昇志向
儀式・神事の復活
定信の大勢委任論
将軍家斉へ『御心得箇条』
天下は朝廷より将軍が預かっているもの
京都大火事内裏焼失⇨造営 島津・細川家の協力
仮御所ではなく新造 天皇から太刀拝領
尊号一件
父(親王)に太上天皇号を贈りたい
財政負担増加、朝廷からの要求が増えるおそれ
⇨1000石を献上
財政支援取替金(無利子貸付)ほとんど返済されず
帳消し⇨定額支給に変更
積極派公家を処罰
⇨将軍も公家も同じ「王臣」であるという考え
朝廷からも賛同を得て処罰
松平定信の孤立・解任
本多忠籌を窓際へ(将軍居室の近く)
一橋治済の要求を却下(実兄・松平重富の官位上昇)
世上の反感 不景気
幕臣の不満 海防・地方土着構想
大奥 定信を敵視(毒殺の噂まで)
反定信グループの言い分
・定信に異見すると不機嫌になる
・将軍とサシで話せるのは自分だけ
・自分の好きな人物と嫌いな人物で露骨に態度変える
・内々に相談せずに独裁的な人事
将軍補佐・老中解任を申し付けられる
忠籌大喜び「大姦物」
依願辞任を装う
世上へ配慮し、徐々に改革を修正
国本論
白河藩主・松平定信が幕政に携わる前に書いた政治論。
書経・詩経などいわゆる四書五経(儒学)の考えに基づいている。
要約すると以下の通り
・人民は国家の根本である。
・人民がいなければ君主は飢えや寒さを免れることはできない。
・どんな庶民でも一つは君主に勝る部分があるもの。
・ゆえに人心を失えば君主は孤立する。
・君主や人民というものは天によって与えられた職、天職である。
・天によって与えられた職は、その本分をまっとうしなければならない。君主の場合、徳が無ければ天罰を受ける
この考えをベースに、現在(執筆時)の社会問題も論じる。
食糧不足は、君主が米粟でなく金銀を貴ぶことに原因がある。
君主が金銀を貴ぶから、庶民もそれに倣って米粟を賤しみ、やがて商人となる。
商人が増え、農業従事者が減ったから食糧が足りず飢えて死ぬものが出る。
人民が飢えれば君主も飢える。やがて国家がなくなってしまう。
基本を捨てて末端を好んでいる世情が、食糧不足の原因であると考える。
この論は、現代の我々から見ればやや歪なものに見えるが、部分的には核心をついている。
太平の世が長く続くなかで人口が増加し、田畑が開発しつくされれば、やがて人が都市部へ流入し農業から離れるのは自明である。
米がたくさん余ってるのに米を作ってても仕方ないから、職人や芸能の道に進む者が現れるのは自然なことだ。
しかし、凶作などで食物が採れなくなった時、そのバランスが崩れて飢饉が起きる。
逆に食料の需要が高まったのだから、都市部の非生産者が農業に戻れば、またバランスは戻るはず。
しかし、人々は米(農業)よりも金銀(商業)を重視しているため、この単純な問題が解決できない。
今一度、基本に立ち返りこの食糧不足問題を解決しなければならない。
これが定信の考えだ。ゆえに商業を重視し、賄賂が横行する田沼政治を嫌った。
もちろん、定信自身も庭を作ったり戯作を書くくらいだから”遊び”に興味が無かったわけではないし、むしろ愛している。
しかし、人間社会の最低限守られるべきは「衣・食・住」が脅かされている今、遊んでいる場合じゃない。
だから自分だけが贅沢なんてことはしない。みんなで質素倹約し、この内憂外患の時代を乗り越えるべきだと考えた。
そして食糧不足問題が解決し、景気が良くなればみんなが幸せになると考えた。
それが定信の描いた理想郷である。正論だ。
しかし、人間は正論だけでは動かない。
たとえ腹が減ろうが、みじめになろうが、自分がやりたいと思ったことは簡単には止められない。
これは私自身の経験だが、お笑い芸人を目指していたとき、借金まみれで現代人らしい生活を送れていなかった時がある。
酷い時は1日1食、100円のコンビニおにぎりでおかゆを作って糊口を凌ぎ、服を買う金もないので拾った服を着ていた。
普通に考えたら、芸人なんて諦めて普通に働いたほうがマシだ。
それでも夢を諦められなかった。たとえ飢えても、憧れは止められねぇんだ。
定信は、そういった人間の業と戦い、負けたのだ。
「狭量だった」「理想主義すぎた」と片づけるのは簡単かもしれない。
しかし、もし愛する家族が「やりたいことがあるから就職はしない。夢を成し遂げるためなら飢え死にしてもかまわない」などと言い出したら、あなたはそれを受け入れることができるだろうか。
定信は人民=国家を愛していた。それは上に立つ者として生まれたゆえの無自覚の傲慢から来るものかもしれないが、愛する国家が飢える姿を黙って見てはいられなかったのではなかろうか。
寛政の改革は失敗した。しかし七分積金のように後世の役に立ったものもある。
だから私は、この改革が間違っていたとは思わない。
正しかったゆえに失敗したのだ。
文・ミスター武士道