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江戸城さんぽ~日本の城の集大成〜圧倒的石垣など歴史解説!
江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)が築いた江戸城は、規模やその美しさから日本の城の集大成と言えるでしょう。
城を守る見事な石垣のほか、各所にある門や櫓はとても見ごたえがあります。
今回はそんな江戸城の歴史や見どころを解説していきます。
家康が江戸城を築くまでの意外な歴史についても紹介するので、江戸城の歴史をより深く知りたい人はぜひご覧ください。
江戸城の歴史を築城から解説
まずは江戸城の歴史を築城から解説していきます。
江戸城は家康や幕府によって築かれたイメージが強いかもしれませんが、実はそれ以前から基礎となる城が築かれていました。
築城から数回行われた改修、近代にかけての江戸城の歴史に迫っていきます。
家康が登場する前の江戸城前史
最初の江戸城は長禄元年(1457年)、太田道灌(おおたどうかん)によって現在の本丸や二の丸あたりに築城されました。
太田道灌
永享4年(1432年)に扇谷上杉氏の筆頭家老・太田家に生まれます。
鎌倉五山や足利学校で学問を学び、関東一円で活躍した名将ですが、最後はその才能を妬んだ上杉定正(うえすぎさだまさ)によって暗殺されました。
道灌による築城で江戸は発展し、平川河口には諸国から商船や漁船が出入りしたほか、鎌倉街道から来た商人で市が立ち、品川や浅草には社寺が建立されたそうです。
その後、大永4年(1524年)には北条氏の支城となり、北条家臣の遠山氏によって改修されました。
家康の関東移封から築城へ
天正18年(1590年)、小田原征伐で北条氏が駆逐された関東に徳川家康が入ります。
家康は入り江にあって大量の物資輸送が見込まれる江戸に拠点を置き、征夷大将軍に任命された慶長8年(1638年)から、江戸城の本格的な築城を開始しました。
将軍家の居城にふさわしい城にするため、大規模な土木工事で城内や城下の敷地拡張を図るとともに、船運ネットワークや上水道を形成するインフラ整備が進められたのです。
工事は延べ471の大名によって30年以上行われ、特に天守は家康・秀忠・家光の3代にわたり建て替えられました。
歴史が進み寛永15年(1638年)、徳川家光(とくがわいえみつ)の代に築城工事は一応完了します。
また、工事期間が長い江戸城の石垣は他の城より技術の発展が垣間見えるほか、工事に関わった大名が採石時や築造時に印を刻んだ「刻印石」も多く残っており、歴史をたどる手がかりになるでしょう。
明治から江戸城の姿は激変
歴史は慶応4年(1868年)4月11日の江戸城無血開城まで進みます。
明治元年(1868年)には開城後の江戸城に明治天皇が入城して西の丸御殿に住み、「東京城」と改められました。
明治3年(1870年)からは桝形門の渡櫓などが撤去され、明治5年(1872年)8月に明治政府が防衛上必要とした城門以外を破却、さらに富士見櫓・北桔橋高麗門・数寄屋前多門櫓を除く残存していた櫓や城門、塀も全て破却されます。
西の丸御殿が明治6年(1873年)の火事で全焼した後は、明治21年(1888年)に宮城となる新宮殿が竣工。
現在のように西の丸大手門が皇居正門、坂下門と乾門が通用門となりました。
江戸城の見どころ解説
江戸城は内郭の周囲が約7.85㎞、外堀を含めた外郭の周囲は約15.7㎞に及び、内郭・外郭を合わせた総面積は約25㎢の圧倒的な規模を持つ名城です。
そのスケールはあの姫路城や名古屋城などをしのぐ程と言えるでしょう。
ここからはそんな江戸城の中でも、現存するいくつかの見どころを解説していきます。
今も残る広大な石垣
江戸城は広大な内濠や石垣で周囲を厳重に固めているのが特徴です。
特に石垣はほぼ垂直に築かれており、攻め手にとって上るのはとても難しいでしょう。
また、石垣は主に打込接(うちこみはぎ)か切込接(きりこみはぎ)という方法で加工されています。
打込接は隣合う石の隙間を減らすために角や面を叩いて平たくする方法で、切込接は石材を四角く加工して隙間なく密着させる大変手間のかかる方法です。
ちなみに江戸城に使われている石材は、伊豆半島から切り出した硬質な「安山岩」などが使われたそうです。
武家屋敷が並んでいた皇居前広場
今は観光客や都民らでにぎわう皇居前広場。
江戸時代は参勤交代で江戸に参じる諸大名の武家屋敷や馬場などが置かれていました。
これらの屋敷は明治2年(1869年)の版籍奉還で上収され、一時は明治政府の官衛や兵営などに利用されましたが、伊藤博文(いとうひろぶみ)の指示で一切のものが撤去されて樹木のある大広場として整備されます。
明治39年(1906年)には日露戦争の祝勝を記念した馬場先大通りや凱旋(祝田)通りが開設され、大正12年(1923年)には関東大震災の復興事業として行幸通りが開設。
皇紀2600年記念宮城外苑整備事業などで現在の姿に整備されてきました。
皇居につながる二重橋
現在の皇居正門につながる橋が「二重橋」です。
慶長19年(1614年)に建設されたもので、かつては「西の丸下乗橋」という名前の木橋でした。
当時は橋が架かっていた部分の濠が深かったため、橋桁を支える土台の丸太の上に橋を重ねた二重構造が名前の由来と言われています。
明治21年(1888年)には鉄橋となった後、昭和39年(1964年)の修繕で現在の姿になり、日本で初めて亜鉛溶射が使用されました。
また、新年の一般参賀ではここが皇居へ続く通路となっています。
歴史上で有名な桜田門
江戸城の門の多くは第一の門、第二の門との中間に桝形(四角形)の広場がある「桝形城門」が特徴で、桜田門は桝形が完全に残っている城門の1つです。
小田原街道の始点にあることから「小田原口」とも呼ばれていました。
歴史では井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された「桜田門外の変」の舞台として有名ですよね。
桜田門外の変
黒船来航から徳川幕府が開国へと動く一方、水戸藩などの尊王攘夷派はそれに激しく反発します。
大老の井伊直弼は「安政の大獄」で反対派を弾圧しますが、水戸浪士を中心にした一派によって安政7年(1860年)に桜田門で暗殺されました。
大正12年(1923年)の関東大震災で破損しましたが、その後鉄鋼土蔵造りに改修されました。
今なお残る櫓や大手門
次は江戸城内で今なお残る櫓や大手門を解説していきます。
当初の江戸城には19の櫓がありましたが、現在は伏見櫓・桜田巽櫓・富士見櫓の3カ所しか残っていません。
現存する貴重な伏見櫓や桜田巽櫓に加えて、江戸城の玄関口となる大手門に迫っていきます。
京から移築した伝承が残る伏見櫓
伏見櫓は江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓です。
高さは13.4メートルで、両横には「十四間多聞」・「十六間多聞」と呼ばれる防御機能を持った倉庫も備えています。
石垣や櫓が堅牢で、関東大震災でも崩れずに当時の姿を維持してきました。
ちなみに寛永5年(1628年)に行った修築の際、京の「伏見城」から移築したことが名前の由来と言われていますが、伝承のみで確実な記録は残っておりません。
伏見城
豊臣秀吉が築いた城で、秀吉死後は家康が入って政務を執り行いました。
関ヶ原の戦いで焼失した後は家康によって再建され、元和5年(1619年)に廃城となります。
城の東南を守る桜田巽櫓
江戸城本丸の東南(辰巳=巽)に位置する櫓が桜田巽櫓です。
城の隅角で監視と防御を担う「隅櫓」としては江戸城で唯一現存しているもので、関東大震災で損壊した後に解体・復元されました。
鉄砲や矢を射る「狭間」や濠から上がってくる敵に石を落とす「石落とし」があり、三の丸の東南を守る重要な櫓だったのでしょう。
また、櫓には横に2本の線が走っており、これは「両引き紋」をイメージしたものと言われています。
両引き紋
武家の棟梁たる源氏がよく使っていた家紋。
足利氏も使用しており、多くの戦国武将が使っていた人気のある家紋です。
築城の名手・藤堂高虎が築いた大手門
参勤交代で江戸に滞在していた大名が、新年や月次で登城する際の玄関口が大手門です。
慶長12年(1607年)に築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって、1年3カ月ほどで築かれました。
藤堂高虎
弘治2年(1556年)に近江の国で生まれ、浅井長政(あざいながまさ)や織田信澄(おだのぶずみ)、豊臣秀長(とよとみひでなが)など、さまざまな主に仕えました。
加藤清正(かとうきよまさ)や黒田官兵衛(くろだかんべえ)に並ぶ築城の名手と言われています。
元和6年(1620年)の江戸城修復では伊達政宗(だてまさむね)や酒井忠世(さかいただよ)によって現在のような桝形門になります。
高麗門と渡櫓門で構成されており、渡櫓門は桁行40メートル、梁間7.9メートルの大規模な構造で武器庫を載せていました。
警備を担うのは10万石以上の譜代大名で、鉄砲30丁・弓10張・長柄20本と厳重なものだったそうです。
現存する高麗門は明暦3年(1657年)の大火後に再建されたもので、渡櫓門は昭和20年(1945年)に焼失。
東御苑の開園に伴う昭和40年(1965年)の工事で現在の姿に復元されました。
江戸城さんぽ~日本の城の集大成〜|まとめ
今回は江戸城の歴史や石垣・櫓などの見どころを解説しました。
徳川家康や江戸幕府の時代だけではなく、戦国時代や近代の歴史を通じて、今までより深く江戸城を理解することができたのではないでしょうか。
また、石垣や現存する希少な櫓などを知ることで、江戸城に対する興味もより深まるはずです。
江戸城が持つ長い歴史や見どころなどを知った上で、人々に愛される江戸城の魅力をぜひ現地で感じてみてください。