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どうする家康・35話『欲望の怪物』ネタバレ解説!豊臣秀吉の出自とは?
「どうする家康」35話『欲望の怪物』では、のちに主人公・徳川家康と関ケ原の戦いで雌雄を決することになる石田三成や、豊臣秀吉の母・大政所(なか)など、重要人物が次々と登場し、とても話題になりました。
また、物語終盤では、表裏比興の者・真田昌幸も登場し、家康に対しても堂々と自らの言い分を主張するシーンも見ごたえがありましたね。
今回は、そんな「どうする家康」35話『欲望の怪物』で描かれたシーンを、実際の史料との比較などを行いつつ、ネタバレ解説をしていきます。
また、謎に包まれている豊臣秀吉の出自についても解説します。
家康、秀吉に臣従
ついに秀吉への臣従を決意した家康が、秀吉のもとへと上洛するところから始まりました。
実はこのシーンには、秀吉と家康の対面にまつわる様々なエピソードが散りばめられていたことにお気づきでしょうか。
まずは、豊臣秀吉に臣従した徳川家康が上洛し、再会を果たすシーンからネタバレ解説していきます。
秀吉のアポなし訪問
上洛した家康のもとに、秀吉自らアポ無しで訪問してくるというシーンがありました。
本来であれば、秀吉配下の大名が揃う公式の場に家康が出席し、そこで秀吉と家康が対面するはずでしたが、その前日に、家康が宿泊していた羽柴秀長の邸宅を秀吉がこっそり訪れたという有名な逸話があります。
この時、秀吉は家康に対して「これからは家族同然の仲である」と言って酒を酌み交わしたと言われています。
これは秀吉の数ある”人たらし”エピソードのうちの一つとして知られていますが、この話は家康の家臣・松平家忠の『家忠日記』に書かれていることからも、同時代を生きた人物の記述として信憑性が高いとされています。
秀吉の人たらしキャラは後世に作られたものではなかったのですね。
「鳥居元忠ほしいのぅ」
その中で、豪華な家康家臣団の顔ぶれを前に秀吉のテンションが上がるシーンも描かれていました。
秀吉の妹・旭姫を迎えに来た天野康景に対して、秀吉が「もっと有名な者を連れてこい」と憤った話もありますが、こちらも秀吉の「ミーハー」っぷりが伺えるシーンでしたね。
家康の重臣である鳥居元忠に対しては、秀吉も「欲しいのぅ」と本音を口にしていました。
実際に、鳥居元忠が秀吉からスカウトを受けたものの、家康への忠義を貫いて誘いを固辞したという話が鳥居家に伝わっています。
鳥居元忠といえば、家康を守るために孤軍奮闘して壮絶な戦死を遂げた「忠義の士」としても知られており、秀吉からのスカウトにも毅然とした態度で断ったと言われていますが、実際にはドラマのように少し困惑した様子だったのかもしれませんね。
陣羽織の逸話
家康が「もう関白様には陣羽織は着させません」と言ったところ、秀吉が「明日みんなの前でそれを言ってくれ」とお願いするシーンがありましたが、こちらも『三河後風土記』という史料に見える逸話です。
秀吉配下の大名の前で、家康が秀吉へ臣従したことをアピールさせる目的があったと言われています、
文字通り「猿芝居」を演じる秀吉を演じるムロツヨシさんの巧みな演技は面白かったですね。
家康が将軍就任の噂
実はこの頃、巷では「家康が征夷大将軍になるのではないか」との噂が立っていたようです。
史実としては、秀吉の死後に関ケ原の戦いに勝利した家康が征夷大将軍に就任するという流れですが、実は秀吉の存命時からそのような噂が流れていました。
丁度この頃、時の正親町天皇の皇子であった誠仁(さねひと)親王が若くして急死。
これについて、『多聞院日記』によると、「秀吉が天皇に、秀長が関白に、家康が征夷大将軍に就任することが決定したため、絶望した誠仁親王が切腹した」という根も葉もない噂が囁かれていたようです。
同時代の人からすると、室町時代に摂関家(藤原氏)と将軍家(足利氏)との婚姻関係を基盤として政権が運営されていたように、関白・豊臣秀吉と将軍・徳川家康の政治体制が構築されるのではないかという憶測はあったのかもしれません。
こうした当時の世情を見ても、家康が陣羽織を着て武士の仕事をし、秀吉が天皇のそばで政を行うという両統構想は、当の家康・秀吉も持っていた可能性はあるでしょう。
石田三成登場
さて、「どうする家康」35話では、のちに家康のライバルとして立ちはだかる石田三成が初登場しました。
秀吉側近として登場した三成でしたが、この頃は27歳の若手で、まだまだ家康と肩を並べるほどの力は持っていませんでした。
家康の人生を語る上で欠かせないライバルとして知られる石田三成ですが、彼は一体どのような人物だったのでしょうか。
この章では、石田三成の生涯と、この後の家康との関係についてネタバレ解説していきます。
従五位下 治部少輔
まだまだ若手の三成でしたが、秀吉の側近として能力は高く買われていたようです。
その証に、ドラマでのテロップでも表示されていたとおり、関白に仕える者を示す「従五位下 治部少輔」の官職も与えられており、これはおそらく秀吉から与えられた、れっきとした貴族としての官職だったと思われます。
武家が従五位下の貴族に叙任されることを「諸大夫成り」と言いますが、同時期に諸大夫成りを果たしている秀吉家臣は福島正則など数人しかおらず、あの加藤清正よりも早い出世でした。
「内政型」とも言われる三成ですが、秀吉の出陣にも度々帯同しており、秀吉の側に常に仕えながらスピード出世を果たしていった、まさにエリート官僚のような武将だったのです。
堺奉行就任
貴族としての名誉ある官職だけでなく、三成は秀吉から「堺奉行」という重要な役割も与えられています。
当時の堺は、秀吉が拠点にしていた大坂にほど近く、鉄砲の生産や海外との交易などで潤っていた町でした。
同時に、堺は商人による自治が認められていた都市であり、コントロールが難しい場所でもありました。
そんな堺の奉行に、若い三成は小西立佐(りゅうさ)と共に任じられるのです。
小西立佐は、かの有名な武将・小西行長の父であり、三成よりも一回り年上の人物でした。
彼は元々商人だったと言われており、堺の町で顔の広い立佐のもとで、三成は官僚としての経験を積むことになるのです。
こうした待遇を見ても、三成は秀吉から絶大な期待を寄せられていたことがわかります。
家康との関係性
「どうする家康」35話では、初対面した三成と家康と対面して仲良く天体観測しているシーンがありました。
こんな二人が後に関ケ原でぶつかり、三成が首を刎ねられると思うと悲しくなりますが、実際、三成と家康の関係は当初は良好だったとされています。
従来、三成と家康は一貫して不仲だったという描き方がされていましたが、近年では関ケ原の戦いまでは良好な関係を保っていたと言われています。
「どうする家康」では、今後この二人の関係がどのように描かれていくのか楽しみですね。
大政所 なか
そしてもう一人、秀吉の母・大政所(なか)も登場しました。
これまでの大河ドラマでは、面の皮が厚い元気な人物として描かれることの多かった彼女ですが、「どうする家康」では自分の立場に戸惑っているような、新しい描かれ方がされていましたね。
この章では、人質として家康のもとへ送られた秀吉の母・大政所(なか)と家康家臣とのエピソードや、豊臣秀吉の出自についてもネタバレ解説していきます。
井伊直政が警固
「どうする家康」35話では、イケメンの井伊直政に一目惚れした大政所が彼を自分の警固役に指名したという設定でしたが、直政が大政所の警固をしたということは事実のようです。
また、「どうする家康」には登場していないものの、問題児として有名な本多重次も大政所の警固に同行していました。
直政は、果物やお菓子を大政所の女中に差し入れるなどし、大政所からの評価は非常に高かったようです。
一方で本多重次は、大政所の部屋の周りに柴や薪などを並べ、いざとなればいつでも火を付けることができるようにしていたと言われています。
「どうする家康」35話では、直政がお菓子の差し入れに加え、登場していない重次の代わりに薪を並べる役割も担っていましたね。
のちに大政所は秀吉に、自らに優しく接してくれた直政に褒美を与えるよう要求したのに対し、重次については「殺してしまえ」と言ったという逸話も残っています。
実際に直政は秀吉からも高く評価されており、彼が大政所に気に入られたエピソードもあながち嘘ではないのかもしれません。
秀吉の出自
「どうする家康」35話で、大政所が「秀吉は本当に私の子なのだろうか」と吐露するシーンがありました。
ここで、秀吉の出自について解説しましょう。
彼の出自については謎が多く、父の身分についてもはっきりとしたことは分かっていません。
通説では、秀吉の父親は木下弥右衛門という足軽だったと言われることが多いですが、江戸時代に書かれた『太閤素性記』という文献が初出の説であるため、信ぴょう性に乏しいというのが現実です。
秀吉は、大政所が素性も分からない男性との一夜限りでの関係から生まれた「私生児」だったと主張する研究者もいるほどです。
秀吉は菩提寺を建てていない
秀吉自身が自らの父親を認識していなかったとする根拠として、「秀吉が父親の菩提寺を建立していない」ということが挙げられます。
通常、名のある武将にもなれば、家康の「大樹寺」のように、自らの先祖を供養する菩提寺を建立するのが通例です。
秀吉が菩提寺を建てていないということは、秀吉に自身の父親についての情報が何もなかったという説を裏付けています。
「どうする家康」35話での大政所の台詞にもあった通り、秀吉は幼い頃に家を出て、身一つで立身出世したというのが本当なのかもしれません。
もしそうだとしたら、自らの息子がいつの間にか天下人になっていたという大政所の戸惑いはリアルな描き方なのではないでしょうか。
表裏者 真田昌幸
そして、物語の終盤では真田昌幸も登場しました。
領土問題で対立する家康に対し、「表裏者」昌幸は堂々と要求を突きつけていましたね。
この問題はどのような終結を迎えたのでしょうか。
最後に、表裏比興の者・真田昌幸と家康の、領土問題をめぐる政治的駆け引きについてネタバレ解説します。
沼田領居座り
この頃の家康と昌幸は、昌幸が治めていた沼田領をめぐった領土問題で揉めていました。
この問題は、徳川と北条がぶつかった「天正壬午の乱」の後の同盟の際、元来昌幸が自力で手に入れた沼田領を、家康が勝手に北条に与えると約束したことに端を発します。
「どうする家康」35話で、家康の壺を昌幸が勝手に息子の信之に与え、咎められると「人のものを勝手に人に与えるということを徳川殿はしたのだ」と反論するシーンは面白かったですね。
家康にも落ち度あり
この領土問題で、作中では家康が「自分にも落ち度はあった」というようなことを言っていました。
天正壬午の乱では、当初は北条方に味方していた昌幸は一転して徳川方に寝返って家康を助けています。
にも関わらず、家康は北条との同盟の際に、昌幸の領地を勝手に北条に与えたことに関して、家康にも落ち度があったと言わざるを得ないでしょう。
沼田領問題、収束へ
昌幸の主張に対して自らの落ち度を認めた家康は、徳川の領地を与える代わりに沼田領に関しては諦めるように提案します。
まだまだ家康への不信感が拭えない昌幸は、この提案を受け、確実に自分に領地を与える証を要求。
こうして成立したのが本多忠勝の娘・稲姫(いなひめ)と真田信之の婚姻です。
長年続いていた沼田領問題は、ここで一旦収束を迎えました。
人質は臣従の証
稲姫と信之の婚姻は、家康が秀吉に対して妹の旭姫や母の大政所の差し出しを要求したのと同様、確実に約束を守らせるための人質のような役割を持っています。
敵・味方が入り乱れる戦国時代において、人質というのは臣従を示す重要な証だったのです。
のちに北条が天下人・豊臣秀吉に対して無謀な戦を挑むことになりますが、これも北条が秀吉に人質を要求したにも関わらず受け入れられなかったことが関係していると言われています。
どうする家康・35話『欲望の怪物』ネタバレ解説!豊臣秀吉の出自とは?│まとめ
「どうする家康」35話『欲望の怪物』のネタバレ解説でした。
物語終盤の超重要人物・石田三成や、新たな人物像で描かれた大政所(なか)など、個性的な新キャストも登場し今後の展開がより楽しみになってきましたね。
本多忠勝に溺愛されていたことが伺える稲姫でしたが、今後の活躍はあるのでしょうか。
来週も目が離せません!