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大坂城完全ガイド:太閤はんが築いた天下統一の象徴
大坂城は戦国時代に豊臣秀吉が築いた名城で、石山本願寺の跡地に建てられました。大坂の陣の舞台として歴史的意義が大きく、現在の天守閣は1931年に復興されたものです。
戦国の覇者・豊臣秀吉が築いた日本有数の名城。大阪市中央区に位置し、市民に愛され続けています。
大坂城の歴史
石山本願寺から大坂城へ
大坂城の地には、かつて石山本願寺がありました。織田信長との石山合戦を経て天正8年(1580年)に信長が手に入れますが、本能寺の変で築城計画は中止。天正11年(1583年)、賤ヶ岳合戦で勝利した豊臣秀吉がこの地を掌握しました。
豊臣秀吉の天下統一拠点
天正11年(1583年)に築城開始。天然の要害と淀川の水運を活かし、約15年かけて壮大な城郭を築きました。天守は金箔で飾られた5層6階建てで「三国無双の城」と称されました。
徳川による再建と近世大坂城
豊臣家滅亡後、元和6年(1620年)から徳川秀忠が徳川への政権交代を天下に号令するために、豊臣時代の天守、縄張を埋め、大坂城を再建させました。64家の大名が動員され、高さ58mの天守を持つ城が完成しました。しかし寛文5年(1665年)に落雷で天守が焼失し、江戸末期まで再建されませんでした。
大坂の陣 – 豊臣家滅亡への道
大坂冬の陣(1614年)
徳川家康と豊臣秀頼・淀殿の対立が激化し、20万の徳川軍が大坂城を包囲。しかし、豊臣方の真田信繁が築いた出城「真田丸」が大きな戦果を挙げました。和議によって終結しましたが、外堀が埋め立てられ防御力が削がれました。
補足:従来の研究では、真田丸は武田城郭の特徴である「丸馬出」であると言われているが、近年の千田嘉博氏の研究により、大坂城から離れた位置に築かれた「曲輪」である可能性が高い。いずれにせよ、大坂城の弱点である南側を補う役割を担っている。参考文献:丸島和洋『図説真田一族』戎光祥出版 2015年
大坂夏の陣(1615年)
翌年、再び戦端が開かれ、天王寺・岡山の戦いで真田信繁が家康本陣に2度突撃するも討死。秀頼と淀殿が自刃し、豊臣家は滅亡。これにより戦国時代は完全に終焉しました。
アクセス情報
電車でのアクセス
- JR大阪環状線「大阪城公園駅」 徒歩3分(大阪駅から約10分・170円)
- Osaka Metro谷町線「谷町4丁目駅」徒歩12分
- 中央線「森ノ宮駅」徒歩10分
- 長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」徒歩10分
自動車でのアクセス
- 阪神高速13号東大阪線「法円坂出口」「森之宮出口」
駐車場:平日1時間400円、土日祝500円、夜間200円。
入館料金(2025年4月改定)
- 大人:1,200円
- 大学生・高校生:600円(学生証要)
- 中学生以下:無料
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)/休館日:12月28日〜1月1日
見どころ
大阪城天守閣
1931年に復興された5層8階建ての天守。内部は博物館となり、豊臣秀吉や大坂城の歴史展示、甲冑試着体験、シアタールームがあります。展望台からは大阪市内を一望できます。
日本最大級の石垣
徳川幕府の天下普請で築かれた石垣は高さ最大30m。巨石「蛸石」や各大名の刻印が残り、石垣めぐりも人気です。
桜の名所・大阪城公園
園内には約3,000本の桜、西の丸庭園のソメイヨシノは圧巻。夜間ライトアップも実施されます。梅林には約1,245本の梅もあり、四季を通じて花木を楽しめます。
重要文化財建造物
大手門、桜門、千貫櫓など13棟が重要文化財に指定。徳川幕府の金蔵や焔硝蔵も現存しています。
三光神社
真田丸があったとされる場所。境内には大坂城から通じる抜け穴とされる地下道があります。またその隣に真田信繁の銅像があり、日本一の兵の伝説が今も語り継がれています。
周辺観光・グルメ
大阪グルメ
「わなか 大阪城公園店」のたこ焼き、「千房 JO-TERRACE OSAKA店」のお好み焼きなど、周辺で大阪グルメを満喫できます。
近隣観光スポット
- 大阪ビジネスパーク:高層ビル群越しに大坂城を望める
- 豊国神社:秀吉・秀頼・秀長を祀る
- 大阪城ホール:コンサートやイベントの拠点
ショッピング・お土産
天守閣ミュージアムショップではオリジナルグッズが揃い、京橋・天満橋周辺では大阪名物のチーズケーキや豚まんも人気。
まとめ
大坂城は豊臣秀吉の夢と徳川幕府の威光が交差した日本屈指の名城。桜や石垣、天守閣、周辺グルメと共に歴史と文化を体感できる観光地として、多くの人々に愛されています。
※本記事の情報は2025年8月時点のものです。最新の料金・営業時間は公式サイトをご確認ください。