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戦国武将の辞世の句10選!有名・マイナーな武将たちの最後の言葉
数々の戦いをくぐり抜け、後世に名を残していった多くの戦国武将たち。
戦乱の世で生きる戦国武将だったからこそ、日々を過ごす中であったり戦いを乗り越えたりする中で感じることが多かったに違いありません。
過酷な状況下を生きた武将たちですが、一体どのような言葉を残して最期を飾ったのでしょうか。
今回は辞世の句の意味と共に、10名が残した句を紹介しています。
どの戦国武将もそれぞれの想いが込められており、力強いメッセージを感じられるので、戦国武将に興味がある方はぜひチェックしてみてください。
辞世の句とは
辞世とはこの世を去ることを指し、死ぬ間際に読んだものやその人にとって最期の句になったものを「辞世の句」といいます。
そのため死を覚悟した上で書き残した作品もあれば、突然の死により意図せずとも辞世の句になった作品もあるでしょう。
辞世の句の多くは短文で想いをつづられており、俳句もあれば漢文で残されている作品もあります。
功績を残した偉人の多くは辞世の句を残しているため、それぞれの句に込められた意味を汲み取ることでより強い想いを感じられるでしょう。
辞世の句と遺書の違い
辞世の句と遺書の大きな違いは、後世に希望を託されているかどうかです。
たとえば「今思うと、こんな人生だったな」と思い返すような内容であれば辞世の句で、「私がいなくなったあとはこんなことをしてほしい」のように後の者に想いを託すような内容であれば遺書と判断できます。
また辞世の句の多くは俳句や漢文、詩などで残されている作品が多いです。
遺書であれば特に形式は問われません。内容はもちろんどのような形式で書かれているかも見分ける判断基準になります。
戦国武将の辞世の句10選
戦国武将の多くは戦いの前に句を残したり、死ぬ間際に句を残したりして、その時の想いを綴っています。潔いものであったり、少々怖さを感じるものであったりと人によって様々です。
ここからは戦国武将10名の辞世の句を紹介していきます。
豊臣秀吉の辞世の句
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
浪速のことも 夢のまた夢
豊臣秀吉(とよとみひでよし)といえば、生まれは貧しかったものの天下を取るほどまで成り上がった人物で有名です。
そんな秀吉が読んだのは、怒涛の日々を送った自分を称える句ではなく、「なんて儚いものなのだろう」といった無常の意味が込められた句でした。
「天下人になったものの、露が落ちて消えるようになくなってしまうような人生だった」といった意味が込められています。
そして、秀吉は生まれの関係で学力に優れていなかったことでも有名です。
しかし天下を取ったように最期も美しく飾りたいといった想いから、努力を重ねてこのような完成度の高い作品を残したといわれています。
▶︎豊臣秀吉はいかにして天下統一を果たした?天下までの戦いや死因を解説
徳川家康の辞世の句
先に行き 跡に残るも 同じ事
つれて行けぬを 別れとぞ思ふ
「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」でおなじみの我慢強い人物、徳川家康(とくがわいえやす)。
これまでに多くの部下を亡くしてきた家康だから歌えた句であるといえるでしょう。あの世は誰しもが行くことになるであろう場所で、先に死んだとしても後に死んだとしても、結局行きつく場所は同じです。
この当時は追い腹と呼ばれる切腹の風習があり、主君の死に続いて部下も自ら命を落とす人もいました。
家康はその風習を知っていたからこそ、「また会うのだから、一旦の別れとしよう」と言葉を残し、「まだ追ってくるな」といった意味を込めた言葉を残したのです。
▶︎徳川家康の死因は戦ではなく胃がん?鯛の天ぷらを食べすぎた説も調査
伊達政宗の辞世の句
曇りなき 心の月を さき立てて
浮世の闇を 照してぞ行く
兜にある三日月がトレンドマークで、かつ独眼竜で名を馳せた伊達政宗(だてまさむね)。
生き様がかっこいいのはもちろんのこと、最期に残した句もスタイリッシュで花を飾っています。
特にこの句は政宗のこれまでの人生を振り返って残した句でもあり、数々の困難や経験を自分の手で乗り越えてきたという意味が込められています。
死に際はこれまでの記憶をしみじみと語る人物が多い中でも、政宗の言葉には最期とは思えない強い意志を感じ、まさしく有終の美に相応しい句を残したといえるでしょう。
織田信孝の辞世の句
①昔より 主をうつみの 野間なれば
報いを待てや 羽柴筑前
②たらちねの 名をばく 名をばくださじ 梓弓
稲葉の山の 露と消ゆとも
織田信長の息子でもあり、四国方面軍の司令官を任せられるほど実力のあった織田信孝(おだのぶたか)。
秀吉との対立によって、主筋であった信孝は野間で自害をすることになります。この野間とは現愛知県知多郡にあり、かつて源義朝(みなもとのよしとも)が部下に裏切られた場所でもあるのです。
秀吉の主筋でもある信孝からすると、秀吉の行いは裏切り行為そのもの。そのため羽柴筑前は秀吉を指し、義朝を裏切った部下は報いを受けるように、「裏切ったな、いつかの報いを待ってろよ」といった秀吉に対する恨みの念が込められています。
ただこの句は秀吉の評価を下げる狙いで創作されたのではないかといった説もあるため、本人の言葉であったのかは定かではありません。
一方で②の句は親である信長の名を汚さないように務めたといった意味が込められ、信孝の信長に対する素直な子供心が感じられます。
織田信長の辞世の句
是非に及ばず
明智光秀(あけちみつひで)に裏切られ、本能寺で最期を迎えた織田信長(おだのぶなが)。
「是非に及ばず」とは、とやかくいっている場合でないや仕方がないといった意味があり、光秀軍に襲撃されたときに「仕方がない」という意味で発せられたとされています。
ただとやかくいっている場合ではないといった意味も存在することから、「まずは武器を構えろ」といった前を向く姿勢を表していたのではないかといった見解も広がっています。
蒲生氏郷の辞世の句
限りあれば 吹かねど花は 散るものを
心みじかき 春の山風
蒲生氏郷(がもううじさと)といえば40代で命を落とした信長の義理の息子。
力を持っていたものの、病には勝てず生涯を終えてしまいます。
死ぬ間際まで秀吉からの任務を果たしていたのですが、その任務はさまざまな地方を転々としているものばかりで、病持ちの体にはとても響くものでした。その結果病が進行し死に近づいたことから、この句が読まれたといわれています。
氏郷は病持ちでハードな任務をしていなければ、もしかするともう少しは生き永らえたのかもしれません。しかし各所を転々とする任務により病に蝕まれ、結果死を早めてしまいました。
この句は「どうして死を早めてしまうのだ」といった命の儚さと一緒に、ハードな任務を与えた秀吉へのメッセージも込められていたのではないかと言われています。
石田三成の辞世の句
筑摩江や 葦間に灯す かがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり
石田光成(いしだみつなり)といえば、死に際に柿を与えられるものの「お腹を壊しては、形勢逆転する可能性も低くなる」といって食べなかったことで有名な人物です。
光成は戦いにおいて諦めが悪い点があり、どのような状況でも諦めない姿勢を見せていました。
しかし、辞世の句だけは三成らしい粘り強さの要素は薄く、草の間から見える火を自分にたとえて、命の儚さを表しています。最期は潔く締めたかった、あるいは豊臣家の未来を読み、共に去るといった意味が込められているのではないかともいわれています。
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上杉 謙信の辞世の句
極楽も 地獄も先は 有明の
月の心に 懸かる雲なし
上杉謙信(うえすぎけんしん)の辞世の句は出陣の前に読まれたもの。
この先が極楽なのか地獄なのかはわからないけど、心は澄み渡っているといった意味が込められています。
初陣「栃尾城の戦い」に始まり数々の戦いを経験し、功績を積んだ謙信だからこそ、行く先が極楽であっても地獄であっても受け入れるといった意味も込められていると捉えられるでしょう。
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明智 光秀の辞世の句
順逆二門に無し 大道心源に徹す
五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す
明智光秀といえば本能寺の変で織田信長を討ったことで有名な人物。
しかし本能寺の変での行いは全ての人に良い印象は与えませんでした。このことに対して光秀は辞世の句を残し、「この行いは正しかった、いずれは知ることになるだろう」と伝えたかったのではないかといわれています。
武田 信玄の辞世の句
大ていは 地に任せて 肌骨好し
紅粉を塗らず 自ら風流
病に倒れ、死去したあとは3年間隠してほしいと言葉を残したことで有名な武田信玄(たけだしんげん)。
「神童」「最強」と呼ばれていたことや元々体が弱かったことから、どこか自分を隠していた可能性も考えられます。どの時代でも自分を隠して生きるのは辛く、大変です。そのため「見栄を張らず素直に生きた方が楽だ」といった意味の辞世の句を残したのかもしれません。
戦国武将の辞世の句10選!有名・マイナーな武将たちの最後の言葉|まとめ
戦国武将は場数を踏んでいるので、それぞれが残す言葉には重みがあります。
死を覚悟して残したものや最期の句になったものと武将によって様々です。残した本人は、そのときの心情を綴っただけなのかもしれませんが、限られた文字数で残されたからこそ、そのときの場面や気持ちが伝わってきて臨場感があります。
もしも自分の生き様にあった句があったら、生きる中で不安に感じたときや自信を失ったときに活力剤になるように、参考にしてみてはいかがでしょうか。
▼主な参考文献