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江戸城完全ガイド:太田道灌から徳川265年の歩み|歴史・見どころ・アクセスを徹底解説【2025年版】
江戸城の歴史
太田道灌の築城
江戸城の歴史は、長禄元年(1457年)に太田道灌が築城したことから始まります。道灌は扇谷上杉家の重臣として、享徳の乱における戦略拠点として江戸の地を選び、当時は茫漠とした湿地帯だったこの場所に城を築きました。道灌はその優れた築城技術により、江戸城を南関東一帯を治める重要な拠点として発展させました。
補足:太田道灌の時代の江戸城は、昭和54年から昭和59年(1979年から1980年)の発掘調査で遺構の一部が確認されています。当時の江戸城は、近世の江戸城の本丸あたりにある小さな城であったが、周辺を精緻な建物で囲み、塀をめぐらした重要拠点でした。参考文献:『道灌以後の戦国争乱ー横浜・上原家文書に見る中世ー』横浜市歴史博物館編 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団 2019年
太田道灌の慧眼
道灌が江戸の地を選んだ理由は、その優れた地勢にありました。武蔵野台地の東端に位置し、東京湾に面した水運の便、背後の丘陵による天然の要害など、城下町発展の全ての条件が整っていたのです。
補足:その後江戸城は、大永4年(1524年)、北条氏綱によって攻略され、氏綱、その子氏康の側近が多く入城し、北条氏による武蔵国進軍への重要な軍事拠点になりました。参考文献:『道灌以後の戦国争乱ー横浜・上原家文書に見る中世ー』横浜市歴史博物館編 公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団 2019年
徳川家康の江戸入城と大改築
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東移封により徳川家康が江戸城に入城しました。家康は当初の小規模な城郭では満足せず、壮大な城と城下町の建設計画を立案しました。家康が目指したのは、単なる居城ではなく、将来の天下統一を見据えた政治的拠点の構築でした。
1603年 江戸幕府開府
関ヶ原の戦いでの勝利により、慶長8年(1603年)、家康は征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開府。江戸城は名実ともに日本の政治的中心地となりました。
1606年 初代天守完成
5重5階地下1階の連立式天守が完成。この天守は当時としては破格の規模を誇り、徳川家の威光を示すシンボルとなりました。
1638年 最終的な城郭完成
3代将軍家光の時代に江戸城の建設が完了。総面積は約264万平方メートルという日本最大の城郭が誕生しました。
天下普請による築城
江戸城の建設は「天下普請」と呼ばれる全国の大名を動員した大工事でした。加藤清正、福島正則、黒田長政など各地の名将が石垣構築や堀の開削に参加し、それぞれの技術と財力を投入しました。特に石垣工事では、各大名が担当区域を分担し、その技術力を競い合ったため、現在でも場所によって異なる石積み技法を見ることができます。
江戸城をめぐる戦いと政治
関ヶ原の戦いと天下取り
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いは、江戸城の運命を決定的に変えた戦いでした。東軍の総大将として出陣した徳川家康は、石田三成率いる西軍を破り、事実上の天下人となりました。この勝利により、家康は江戸城を日本全国を統治する政治的拠点として確立する基盤を得たのです。
戦略的優位
家康が関ヶ原で勝利できた理由の一つは、江戸城を拠点とした東国経営の成功でした。15年間の江戸開発により、強固な経済基盤と人的ネットワークを構築していたことが、決戦での勝利に大きく寄与しました。
大坂の陣と豊臣氏の滅亡
関ヶ原の戦い後も豊臣家は大坂城を拠点として勢力を保持していました。しかし1614年から1615年にかけての大坂冬の陣・夏の陣により、徳川家康・秀忠父子は豊臣氏を完全に滅ぼしました。この勝利により、江戸幕府の全国統治体制が確立され、江戸城は名実ともに日本唯一の政治的中心地となったのです。
江戸幕府265年の統治
1603年から1867年まで、江戸城は265年間にわたり日本の政治的中枢として機能し続けました。15代の将軍がこの城で政務を執り、参勤交代制度により全国の大名が江戸城に参上しました。特に本丸御殿の大広間や松の大廊下は、重要な政治的決定が下される舞台となり、元禄14年(1701年)の浅野内匠頭(長矩)の刃傷事件(忠臣蔵の発端)もここで起こりました。
明暦の大火と天守の焼失
明暦3年(1657年)の明暦の大火により、江戸城天守は焼失しました。その後天守台は再建されたものの、天守そのものは再建されることなく、江戸幕府は天守に代わる権威の象徴を求めることとなりました。
アクセス情報
電車でのアクセス
- 東京メトロ大手町駅
C13a・C13b出口から徒歩1分で大手門 - 東京メトロ竹橋駅
1a出口から徒歩5分で平川門 - JR東京駅
丸の内北口から徒歩15分 - 東京メトロ二重橋前駅
徒歩10分で皇居外苑
車でのアクセス
- 首都高速都心環状線
大手町出入口から約5分 - 駐車場
皇居周辺には有料駐車場が複数あり - 注意事項
皇居東御苑には専用駐車場なし
開園時間・入園料
開園時間(季節により変動)
- 3月1日〜4月14日:9:00〜17:00
- 4月15日〜8月末日:9:00〜18:00
- 9月1日〜10月末日:9:00〜17:00
- 11月1日〜2月末日:9:00〜16:30
入園料・休園日
- 入園料:無料
- 休園日:月曜日・金曜日
- (祝日の場合は開園)
- 年末年始(12月28日〜1月3日)
見どころ・魅力
天守台跡
皇居東御苑で最も印象的な遺構が天守台跡です。東西約41メートル、南北約45メートル、高さ約11メートルという巨大な御影石製の石垣は、かつて存在した天守の壮大さを物語っています。1657年の明暦の大火で焼失した天守は再建されませんでしたが、この天守台からは江戸城の規模の大きさと徳川家の権威を実感することができます。
日本最大級の天守台
江戸城の天守台は現存する天守台の中でも最大級の規模を誇ります。完成当時の天守は5重6階地下1階、高さ約58メートルという破格の大きさで、大坂城天守をも上回る日本最大の天守でした。
本丸跡と御殿基礎
本丸跡には、かつて将軍の居住空間や政務を行う御殿がありました。現在は美しい芝生広場となっていますが、よく見ると御殿の基礎石や礎石が点在しており、往時の建物配置を想像することができます。特に大広間跡では、全国の大名が将軍に謁見した格式高い空間の名残を感じることができます。
二の丸庭園
二の丸庭園は、江戸時代初期の大名庭園の様式を現代に伝える貴重な空間です。池泉回遊式庭園として整備され、四季折々の美しい植物を楽しむことができます。特に春の桜、秋の紅葉は格別で、江戸城の武骨な石垣と優雅な庭園の対比が印象的です。
石垣と門の技術
江戸城の石垣は各地の大名が担当したため、場所により異なる石積み技法を見学できます。大手門周辺では切込み接ぎの精巧な石垣、本丸周辺では打込み接ぎの堅牢な石垣を見ることができ、戦国時代から江戸時代初期にかけての築城技術の発展を実感できます。また、現存する大手門、平川門、北桔橋門では、江戸時代の門構えの威容を目の当たりにすることができます。
周辺観光スポット
皇居外苑・二重橋
皇居の正門にあたる二重橋は、石橋と鉄橋で構成されており、石橋は西の丸の大手橋を明治時代に掛け替えたもので、また、鉄橋はかつての二重橋で、昭和になって替えられたものです。現在はこれらを総称して、二重橋と呼んでおり、(参考文献:『歴史群像シリーズ日本100名城公式ガイドブック』新井邦弘編 学研プラス 2016年)江戸城の威容を今に伝える代表的な景観です。
- • 所要時間:30分
- • 皇居東御苑から徒歩15分
- • 正門石橋と正門鉄橋の美しい景観
北の丸公園
旧江戸城北の丸跡に整備された都立公園で、武道館や科学技術館があります。
- • 所要時間:1時間
- • 皇居東御苑から徒歩10分
- • 桜の名所として有名
東京駅・丸の内
江戸城の外堀跡に発展した日本の経済中心地で、歴史的建造物と現代建築が共存します。
- • 所要時間:2時間
- • 皇居東御苑から徒歩15分
- • 丸ビル、新丸ビルでのショッピング
千鳥ヶ淵
江戸城の外堀の一部で、日本有数の桜の名所として親しまれています。
- • 所要時間:1時間
- • 皇居東御苑から徒歩20分
- • 春季のボート遊覧が人気
おすすめ観光ルート
東京駅からスタートする江戸城・皇居周辺の1日観光コース:
- 1. 東京駅(丸の内北口)→ 徒歩15分 → 大手門
- 2. 皇居東御苑見学(天守台、本丸、二の丸庭園)→ 2時間
- 3. 北桔橋門 → 北の丸公園 → 1時間
- 4. 千鳥ヶ淵 → 皇居外苑 → 二重橋 → 1.5時間
- 5. 丸の内でランチ・ショッピング → 2時間