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八王子城 — 北条氏照の「最後の山城」を歩く

多摩丘陵の西端で城山(深沢山)一帯を要害とし、谷筋に御主殿(居館)を配し、麓に根小屋(城下)を置く山城で、小田原北条氏の将・北条氏照が天正年間に築きました。
後北条氏の支城の中では最大の山城でしたが、1590年6月23日、前田利家・上杉景勝の連合軍に攻められてわずか1日で落城しました。
短命であったがゆえに遺構の編年が明快で、戦国末の石垣・虎口・堀切・曲輪の実相を、整備された御主殿地区と山上要害で体感できます。

画像:八王子市公式
目次
築城と氏照の戦略—滝山から八王子へ
八王子城は、小田原北条氏の第三代・氏康の三男、北条氏照が築いた。
築城の開始時期は史料上断定されないが、天正年間に着手され、氏照が旧拠点の滝山城から移ったのは天正12〜15年(1584〜1587)の間とする見解が八王子市公式で有力視されています。
多摩川筋を扼する滝山に対し、八王子はより山地深く要害性を高め、奥多摩へ伸びる街道・尾根筋の掌握と後詰運用を視野に入れた布陣であったと理解できます。
短期の築造と移転は小田原本城包囲の緊張が高まる局勢の反映でもありました。
小田原合戦と6月23日—前田・上杉の来襲、落城の瞬間
天正18年(1590)、豊臣秀吉は関東の北条氏を包囲し、小田原へ総攻勢に出る。
八王子城には、加賀の前田利家と越後の上杉景勝の連合軍が差し向けられ、6月23日、谷筋から居館・虎口を突破して落城に至った。
文化遺産データベースによれば、「北条氏照は滝山からここに移り、豊臣氏の軍に攻められ、六月二十三日落城」と記されています。
城の急峻な要害性にもかかわらず短期決戦で決した背景には、城の未完成部分の存在など様々な要因が指摘されますが、豊臣軍は3万に対し、八王子城の兵はわずか3000という圧倒的兵力差によるものであるとされています。
構造を読む—「根小屋・御主殿・要害」の三分構成
八王子城は、城域の三層構成になっており、麓の根小屋は城下の行政・居住空間になっており、谷筋の御主殿跡(居館)は氏照の館を中心に家臣団の会所・池泉庭園などを含む儀礼・政務の場所とされており、7万点を超える遺物が発見されています。
山上の要害は戦時に本丸・松本曲輪・小宮曲輪が構え、堀切・土塁・石垣を編み合わたもので当時の石垣がそのまま残っています。
谷の左右岸には大鼓(太鼓)曲輪や御主殿が対置し、両岸を結ぶ架橋跡(現在の曳橋位置)も確認できます。

画像:日本遺産ポータル
御主殿地区の整備—石垣・虎口・古道を中心に
落城400年に当たる1990年(平成2年)、御主殿地区の石垣・虎口・通路、御主殿に続く古道の整備が実施されました。
発掘で確認された当時の石材・石畳を可能な限り活用し、破損部分も原形に忠実な形で復元。案内の管理棟・広場の案内板も整備され、麓から導入して史跡を読み解く導線が整いました。
以降も発掘・報告が重ねられ、御主殿西側など追加調査の成果が蓄積しています。
標準の見学は管理棟から大手道を経て曳橋・虎口・御主殿曲輪へ上がる周回で、主殿跡・会所跡・池泉回遊式庭園・御主殿の滝までを含みます。所要40〜60分。
さらに金子曲輪・本丸方面への拡張も可能だが、山行相当の準備を推奨します。
指定と評価—1951年指定、1979年追加
八王子城跡は1951年(昭和26年)6月9日に国の史跡指定を受け、1979年(昭和54)に城南端の尾根東端部の一部が追加指定されました。
文化遺産DBでは「中世城郭の規模を知る上に重要」と価値を述べ、堀・土塁・石垣の旧状が良好である点を評価しています。
東京都の資料でも、同日付で滝山城跡とともに国史跡に指定と記録が残っています。
八王子市の日本遺産ストーリーでは「小田原北条氏最大の支城」と位置づけ、築造から十年未満で落城したことに起因する遺構・遺物編年の明快さを、体験的学習資源として強調しています。
八王子城跡ガイダンス施設—展示・休憩・スタンプ
麓のガイダンス施設は初来訪者にも城の全体像が掴める導入拠点。
展示解説スペースで「氏照と八王子城」「御主殿と要害」を映像・パネルで学べ、72名規模の休憩・レクチャー空間は講座・学習会(20名以上で貸出可)にも対応。
バリアフリー動線・トイレ・スロープを備え、屋外模型まで車いすでアクセスできる。
日本100名城スタンプは本施設に設置(管理棟にはなし)。
所在地:八王子市元八王子町3-2664-2。
開館:9:00〜17:00
休館:年末年始(ほか臨時あり)
駐車:隣接無料(9:00〜17:00/大型バス4、普通50、車いす2、思いやり枠あり)。大型バスは要予約(八王子市文化財課)。

八王子の「八」を象徴する八角形の外観。展示・休憩・レクチャー・バリアフリー機能を備える。
画像:八王子市公式
観光・アクセス実務—駐車、臨時駐車、御城印
駐車場は9:00〜17:00(臨時駐車場も同様)。
年末年始(12/29〜1/3)は管理棟トイレ・駐車場が利用可能。混雑時は市が公開する臨時駐車場のPDF案内を参照するとよい。
登城記念の御城印は市中心部の桑都日本遺産センター 八王子博物館で販売(現地販売なし)。
購入は現地訪問の証明(100名城スタンプ等)か、現地配布の購入希望書(スタンプ押印)による郵送申込。価格は各300円(開始:令和4年2月11日)。
詳細は市公式を確認のこと。
歩き方—標準コースから要害へ
初訪は標準・御主殿周回が鉄板。管理棟を起点に大手道を上がり、曳橋から虎口の石垣、冠木門跡を経て御主殿曲輪(主殿・会所・池跡)へ。
帰路は「御主殿の滝」を絡めて∞型に戻る(40〜60分)。
体力・時間に余裕があれば、金子曲輪経由で本丸(山頂)、あるいは四段の石垣や詰城へと広げられる。
ただし一部区間は地権者対応や保護のためガイド同行が必要で、石垣上部は通行不可の区画もある。
山上は登山要素が強いので、装備・時間・天候の準備を整えたい。無料のボランティアガイドは事前申込が安心だ。
発掘・研究—御主殿を掘る、城全体を読む
発掘は1992〜93年度に史跡環境整備事業として展開され、調査面積2,900㎡、2002年に教育委員会が報告を刊行。
御主殿単独の詳細報告(2002.3、八王子城跡)も編纂された。
1985年刊の『八王子城跡』(八王子市教委・八王子城跡調査会)は整備以前の蓄積を俯瞰する基本文献。
市の文化財年報も年次の整備・活用・広報を追うのに有効で、ガイダンス施設の運用事情(展示・貸出・利用)も確認できる。
史跡は日本100名城(No.22)として全国的に位置づけられ、根小屋・御主殿・要害という構造学習の好素材とされている。
編集者:寺中憲史





