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小田原城完全ガイド:関東の覇者北条氏が築いた難攻不落の要塞
神奈川県小田原市にそびえる小田原城は、戦国時代から江戸時代にかけて関東地方の政治・軍事の要衝として、重要な役割を果たした名城です。北条氏五代約100年にわたって関東支配の中心拠点として機能し、豊臣秀吉の小田原征伐によってその歴史に幕を閉じた後も、江戸時代を通じて東海道の要所として重要な地位を保ち続けました。
現在の小田原城址公園には復興天守がそびえ、年間約50万人の観光客が訪れる神奈川県屈指の観光名所となっています。戦国時代最大規模といわれる総延長9キロメートルの総構の遺構も各所に残り、往時の壮大なスケールを今に伝えています。
小田原城の歴史
大森氏による築城と初期の発展
小田原城の歴史は、応永24年(1417年)に相模国西部に進出した大森氏頼によって築城されたことに始まります。大森氏は駿河国を本拠とする豪族でしたが、室町時代の混乱の中で相模・伊豆方面に勢力を拡大し、小田原の地に城郭を構えました。
当時の小田原城の規模や詳細な構造は明らかになっていませんが、15世紀中頃の築城技術で造られた平山城であったと考えられています。大森氏時代の小田原城は、現在の三の丸北堀付近により東海道に近い場所に位置していたという説もあり、発掘調査によって15世紀の遺構が確認されています。
北条早雲による奪取と北条氏の時代
小田原城の運命を大きく変えたのは、明応5年(1496年)から文亀元年(1501年)の間の伊勢宗瑞(後の北条早雲)による城の奪取でした。伊豆国を支配していた伊勢宗瑞は、巧妙な策略を用いて大森藤頼から小田原城を奪い取り、関東進出の拠点としました。
ただし、宗瑞自身は韮山城を本拠としており、小田原城を本格的な居城としたのは息子の北条氏綱が家督を継いだ永正15年(1518年)もしくは永正16年(1519年)以降とされています。氏綱は小田原城を大幅に拡張し、関東支配の中心拠点として整備を進めました。
三代北条氏康の時代には、小田原城は「難攻不落、無敵の城」として名を馳せるようになりました。氏康は城の防御力を高めると共に、甲斐の武田信玄、駿河の今川義元との甲相駿三国同盟を背景に、関東地方での勢力拡大を本格化させました。
戦国末期の大規模拡張と総構の完成
四代北条氏政、五代北条氏直の時代に入ると、小田原城は戦国時代屈指の巨大城郭へと発展しました。特に豊臣秀吉の関東進出に備えて行われた城郭整備は壮大な規模で、城と城下町全体を囲む総延長約9キロメートルの総構が完成しました。
この総構は、後の豊臣大坂城の惣構をも凌ぐ規模であり、戦国時代の城郭技術の到達点を示すものでした。土塁と空堀による防御線は八幡山から海岸部に至るまで小田原の町全体を取り囲み、まさに城郭都市としての体裁を整えていました。
江戸時代以降の変遷
小田原征伐後、徳川家康に従って参陣した大久保忠世が初代小田原藩主として入城しました。大久保氏は城を近世城郭の姿に大幅改修し、総石垣造りの堅固な城郭として再整備しました。
その後、大久保氏の改易により阿部氏、稲葉氏が城主となった時期もありましたが、貞享3年(1686年)に大久保氏が再び入封し、以後明治まで小田原藩の藩庁として機能しました。小田原藩は箱根関所を預かる重要な役割を担い、東海道における関東地方防御の要として幕末まで重要な地位を保ちました。
小田原城をめぐる戦い
上杉謙信の小田原攻撃
小田原城が初めて大規模な攻撃を受けたのは、永禄4年(1561年)の上杉謙信による関東出兵でした。関東管領職を継承した謙信は、11万3千とも言われる大軍を率いて小田原城を包囲しました。
しかし、北条氏康は籠城戦術を選択し、約1か月間にわたって上杉軍の攻撃に耐え続けました。結果的に謙信は小田原城を落とすことができず撤退し、小田原城の堅固さが実証されることとなりました。
武田信玄の攻撃と防御
永禄12年(1569年)には、甲斐の武田信玄が小田原城に攻撃を仕掛けました。信玄は駿河侵攻の一環として相模国にも侵入し、小田原城を包囲しましたが、この時も北条氏の籠城戦術により攻略を断念しました。
これらの戦いを通じて、小田原城は戦国時代屈指の難攻不落の城として全国にその名を知られるようになり、北条氏の権威の象徴となりました。
小田原征伐 – 戦国時代終焉の戦い
小田原城最大の戦いとなったのが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐でした。この戦いは、真田氏と北条氏の沼田領をめぐる紛争(名胡桃城事件)に端を発し、豊臣政権の惣無事違反として北条氏討伐の大義名分が与えられました補足:惣無事令は藤木久志氏がドイツの帝国平和令などを参考に、秀吉が全国的に発布した法令と言われているが、原本が確認できず、藤井譲治氏などの研究により全国的な法令ではないと言われている。参考文献:藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』(東京大学出版会1985年)、藤井譲治「 「惣無事」はあれど「惣無事令」はなし」(『史林』93−3、2010年)。
秀吉は総勢21万から22万という戦国時代最大規模の大軍を動員し、小田原城を完全包囲しました。この軍勢には徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家など、全国の有力大名が参加しており、まさに天下統一の総仕上げとなる戦いでした。
北条方は約5万6千の兵力で小田原城に籠城し、かつて上杉謙信や武田信玄を退けた経験を活かした持久戦を展開しました。しかし、秀吉は小田原城を見下ろす笠懸山(石垣山)に本格的な石垣の城を築いて本陣とし、長期戦に備える体制を整えました。
戦いは天正18年4月3日から約3か月間続きましたが、各地の北条方支城が相次いで落城し、ついに7月5日、北条氏直は降伏を決断しました。北条氏政・氏照兄弟は切腹を命じられ、戦国大名後北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えることとなりました。
小田原城へのアクセス
電車でのアクセス
小田原城への最も便利なアクセス方法は電車です。JR東海道線・小田急線・箱根登山線・伊豆箱根鉄道大雄山線「小田原駅」の東口から徒歩約10分で到着します。小田原駅は複数の鉄道会社が乗り入れるターナル駅のため、東京方面からも箱根・伊豆方面からもアクセスが良好です。
- 東京駅から:JR東海道線で約1時間
- 新宿駅から:小田急線急行で約1時間10分
- 横浜駅から:JR東海道線で約30分
自動車でのアクセス
自動車の場合は、西湘バイパス「小田原IC」から約5分、または東名高速道路「大井松田IC」から約40分でアクセス可能です。ただし、小田原城址公園内には一般駐車場がないため、周辺の有料駐車場をご利用ください。
開館時間・料金
小田原城の開館時間は9:00〜17:00(入館は16:30まで)となっています。休館日は12月第2水曜日と12月31日〜1月1日です。
入館料金は以下の通りです:
- 天守閣単独券:一般510円、小中学生200円
- 天守閣・常盤木門SAMURAI館共通券:一般610円、小中学生220円
- NINJA館(歴史見聞館)単独券:一般310円、小中学生100円
バリアフリー対応
小田原城址公園は車椅子でのアクセスが可能で、天守閣にはエレベーターが設置されています。また、障がい者手帳をお持ちの方は入館料が無料となります。
小田原城の見どころ
復興天守閣
小田原城のシンボルは、昭和35年(1960年)に復興された天守閣です。地上5階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、平成28年(2016年)にはリニューアルオープンし、最新の展示設備が整備されました。
天守閣内では北条氏五代の歴史や小田原の文化について学ぶことができ、最上階からは相模湾から箱根連山まで360度の大パノラマを楽しめます。晴れた日には富士山も望むことができ、絶好の展望スポットとなっています。
歴史的建造物群
常盤木門は本丸の正面にあたる門で、小田原城の「顔」ともいうべき重要な建造物です。昭和46年(1971年)に復元され、現在はSAMURAI館として武士の精神性や武具の美術性を紹介する展示施設となっています。
銅門(あかがねもん)は平成9年(1997年)に木造復元された城門で、江戸時代の古文書や発掘調査の成果を基に忠実に再現されました。銅で装飾された美しい門は、小田原城の威容を象徴する建造物として親しまれています。
平成21年(2009年)には馬出門も完成し、正規登城ルートの入口として復元されています。これらの門を順次通過することで、戦国時代の武士が体験した登城の緊張感を味わうことができます。
石垣と総構の遺構
小田原城の石垣は、関東地方では珍しい総石垣造りの城郭建築を示しています。特に本丸周辺の石垣は寛永9年(1632年)に始まった大改修により整備されたもので、当時の高い築城技術を確認できます。
戦国時代最大規模の総構の遺構は、現在も北西部を中心に良好に保存されています。蓮上院周辺の土塁、小峯の大堀切など、往時の防御システムの一端を見学することが可能です。
発掘調査と最新の発見
小田原城では継続的な発掘調査が行われており、これまでに400箇所を超える地点で調査が実施されました。近年の調査では、御用米曲輪で池の遺構が発見されるなど、新たな発見が続いています。
小田原城周辺の観光
石垣山一夜城歴史公園
小田原城と密接な関係にあるのが、石垣山一夜城歴史公園です。豊臣秀吉が小田原征伐の際に本陣として築いた城で、小田原城を見下ろす戦略的な位置にあります。現在は史跡公園として整備され、小田原征伐の歴史を学ぶことができます。
小田原の名産品とグルメ
小田原といえばかまぼこが有名で、小田原駅周辺には「かまぼこ通り」があります。老舗の鈴廣をはじめ、多くのかまぼこ店が軒を連ね、試食や工場見学も楽しめます。
「鈴廣かまぼこの里」では、かまぼこの歴史と製造技術について学ぶことができ、体験工房では自分だけのかまぼこ作りも体験できます。併設されたレストランでは、新鮮な相模湾の海の幸を使った料理も味わえます。
また、小田原駅前の複合施設「ミナカ小田原」には小田原グルメが集結する西湘フードスタジアムがあり、地元の食材を活かした多彩な料理を楽しむことができます。最上階の展望足湯庭園からは小田原城を眺めながらリラックスできます。
報徳二宮神社と周辺施設
小田原城址公園内には、報徳二宮神社が鎮座しています。江戸時代後期の思想家・二宮尊徳(金次郎)を祀る神社で、勤労・分度・推譲の教えで知られています。境内には二宮尊徳の生涯を紹介する資料館もあり、小田原の偉人について学ぶことができます。
箱根・熱海への玄関口
小田原は箱根・熱海などの温泉観光地への玄関口として重要な位置にあります。小田原城観光と併せて、箱根登山鉄道で箱根湯本や強羅方面、JR伊東線で熱海方面への観光も楽しめます。
特に春の桜の季節や秋の紅葉の時期には、小田原城址公園から箱根方面への景観が美しく、多くの観光客で賑わいます。
季節のイベントと祭り
小田原城では年間を通じて様々なイベントが開催されています。春の「小田原桜まつり」では約300本の桜が咲き誇り、夜間ライトアップも実施されます。
5月には勇壮な「松原神社例大祭」が行われ、小田原担ぎと呼ばれる独特の神輿渡御を見ることができます。また、**例年5月3日の「北条五代祭り」**では、武者行列や火縄銃の演武が行われ、戦国時代の雰囲気を満喫できます。
小田原城は、戦国時代から現代まで続く豊かな歴史と文化を体感できる、関東屈指の歴史観光地として多くの人々に愛され続けています。難攻不落の城として名を馳せた往時の面影を偲びながら、現代に蘇った美しい城郭建築をぜひお楽しみください。