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「どうする家康」第28回『本能寺の変』もはや恋。本能寺が変になるのは大河ドラマの伝統
大河ドラマ『どうする家康』の第28回では、ついに歴史を動かす大事件「本能寺の変」が描かれ、大きな反響を呼びました。
死の間際、信長は家康の名前を連呼するという斬新な描き方は、まさに本能寺の変というよりは本能寺の”恋”とでも言うべき演出でしたね。
実は、本能寺の変がこのように一風変わって描かれるのは大河ドラマの伝統にもなっており、過去作でもツッコミどころ満載の本能寺の変が何度も放送されています。
今回の記事では、『どうする家康』第28回を最新の歴史研究を踏まえて解説しつつ、以前の大河ドラマにおける「変な本能寺の変」シーンもご紹介します。
『時は今 あめが下しる 五月哉』
明智光秀が本能寺の変を起こす直前に詠んだとされている有名な歌です。
この歌は「光秀の天下取りに対する野心が込められている」と解釈され、本能寺の変が起きた同時代以降現代に至るまで盛んに議論されてきました。
本当にこの歌にはそのような意味が込められているのかを考えてみましょう。
明智光秀の動向
まずは本能寺の変のおさらいです。
秀吉の中国・毛利攻めへの援軍を織田信長に命じられた明智光秀は、大軍を率いて畿内にいました。
そんな時に、信長と彼の嫡男・信忠と徳川家康を同時に殺せる千載一遇のチャンスが巡ってきたのです。
光秀が謀反を成功させるためには、天下人信長と織田家の家督継承者信忠、それから東海地方を支配している織田家有力大名・家康の首を取る必要がありました。
この状況を好機と見た光秀は、中国地方に向けていた軍勢を急遽信長の滞在する京都・本能寺に方向転換。本能寺の変が勃発します。
『時は今 あめが下しる 五月哉』の意味を考察
この歌は素直に解釈すれば「今は雨が降っている5月だね」という意味になりますが、実は光秀の天下取りの決意表明なのではないかとも言われています。
「時(とき)」=光秀の先祖にあたる土岐氏、「あめが下しる」=「天下に下知を下す」という掛詞だと解釈すると、
「土岐氏を先祖に持つ光秀が今こそ天下を治めるぞ」という意味になるというのです。
この説の初出は意外にも古く、秀吉に仕えた御伽衆・大村由己の『惟任退治記』では既にこの説が唱えられています。
今で言う考察系YouTuberのような人が戦国時代にもいたんですね。
ただし、そもそもこの歌は「時は今 あめが下なる 五月哉」であり、「信長様によって天下統一が成るように」という主君信長に対する単なる戦勝祈願の歌だったとも言われています。
徳川家康、堺へ
本能寺の変が起きた時、家康は大坂の堺に滞在していました。
『どうする家康』では、堺の町で様々な人間と交流する家康が描かれていました。
その目的とは何だったのか、またこの時本当にお市や茶屋四郎次郎らと会っていたのか等を解説します。
織田信長のすすめで堺見物
ドラマでは家康が自ら堺に赴いたという描き方がされていましたが、実際には信長のすすめで堺を見物していたとされています。
これには『信長公記』『日本史』といった信頼できる史料からも裏付けられています。
天下取りを目標にかかげていた家康が、信長死後の統治への準備として堺の有力者たちとパイプを築くという設定でしたね。
堺の有力者たちとの接触
家康が堺の有力商人・津田宗及や堺代官・松井友閑らと交わるシーンもありました。
ただし、松井友閑は茶人でもありながら信長の息のかかった重臣です。
家康が信長に謀反を起こした後で友閑が家康に味方してくれるとは到底思えないので、信長殺害後の協力者を求めて有閑に会うというストーリーは少し不自然だったかもしれません。
お市との密会
堺の町で家康が信長の妹・お市に会うシーンには驚きましたね。
実際にこの時お市が堺にいたという史料は存在しません。
ただし、お市がこの頃どこで何をしていたかという一次史料も存在しないため、逆に言えばお市が堺にいなかったという証拠もないわけです。
この頃の畿内は既に天下泰平とされており、お市が岐阜や安土から京都に旅行に行っていたとしても不思議はないと思われます。
本能寺の変での信長と光秀のように、実際には顔を合わせていないとされていてもドラマの演出上出会ったことにするという例はたくさんあります。
ドラマの脚色としては許容範囲ではないでしょうか。
また、のちに家康に立ちはだかるお市の娘・茶々の存在も匂わされていましたね。
お市を演じた北川景子さんの再登板も予想されており、こちらも目が話せません。
茶屋四郎次郎
堺見物を終えた家康は、京へ戻り信長を討つのかと思いきや、お市に諭されたのかまさかの心変わり。
家臣たちもそんな家康にあっさりと従う姿勢を見せていました。
これほど忠誠心の高い家臣団を持つ家康が羨ましいですね。
信頼できる累代の家臣の存在こそが信長・秀吉にはない家康の持ち味なのかもしれません。
さて、家康がモタモタしている間に事は済んでしまっていました。
茶屋四郎次郎が家康に本能寺の変の子細を報告。
実際に茶屋四郎次郎はこの時に本能寺の近くに住んでいましたが、ドラマのように家康に直接伝えたわけではなく、先行して京都に向かっていた家康の家臣・本多忠勝に伝えたようです。
茶屋四郎次郎が『いだてん』の金栗四三のように京都から堺まで走っていったかはわかりませんが、実際の茶屋四郎次郎も商人でありながら戦場でも活躍する「武人タイプ」ではあったと考えられます。
本能寺の”恋”
『どうする家康』の本能寺の変のシーンは、岡田准一さん演じる信長の迫真の殺陣もさることながら、最後まで家康の名前を呼び彷徨う「失恋」のような描写も話題になりました。
戦国時代を扱った多くの大河ドラマで取り上げられてきた本能寺の変ですが、いつも主人公補正が強すぎてちょっぴり変に描かれるのが「大河ドラマあるある」のようです。
この章では過去4作の大河ドラマの「ちょっぴり変な」本能寺の変のシーンをご紹介します。
『利家とまつ』
2002年の『利家とまつ』では信長を反町隆史さんが演じました。
本能寺の変のシーンでは、信長が舞を舞いながら謎の大回転をして死ぬというシュールな演出が話題を呼びました。
さらに信長は、いまわの際に「犬!又左衛門!」と何故か主人公・前田利家の名を叫び、「さらばじゃ」と別れを告げ、それが北陸で戦っている利家に聞こえているというツッコミどころ満載のシーンも印象的です。
『江 ~姫たちの戦国~』
2011年の『江 ~姫たちの戦国~』の信長役は豊原悦司さんでした。
この作品は、様々な歴史上の出来事に主人公の江が強引に絡む様子が批判を浴びましたが、本能寺の変のシーンではなんと信長が目の前に現れた江の幻と対話。
利家の名前を叫ぶ以上にぶっとんだ設定ですね。
『天地人』
2009年放送の『天地人』で信長を演じたのは吉川晃司さんでした。
このドラマの本能寺の変では、なぜか信長の前に上杉謙信の亡霊が出現。
謙信は会ったこともない信長に「お前に足りなかったのは”人”だ。天地人全て揃わなければ天下は取れん」と説教。
最後に本能寺が大爆発するという、こちらもなんとも外連味にあふれた演出でした。
『麒麟がくる』
最後にご紹介するのが2020年放送の『麒麟がくる』です。
この作品を通して主人公・光秀と信長の関係にスポットライトが当てられていました。
2人で力を合わせて「天下泰平の世を作る」という目標に向かって歩んでいたものの最後に仲違いして本能寺の変が起こるというストーリーでした。
信長役の染谷将太さんが「十兵衛か~」と、少し嬉しそうだったのが印象的ですね。
有力者たちの変後の対応
本能寺の変後の明智光秀・徳川家康・羽柴秀吉の対応を振り返っていきましょう。
ここでの身の振り方が文字通り彼らの命運を決定づけることになります。
明智光秀
本能寺の変を起こした光秀は、朝廷に金銀財宝を献上するなどしてお墨付きを得ることに成功し、迅速に畿内を制圧しています。
また、信長の本拠地だった安土城も占拠。
光秀は突発的・無計画に本能寺の変を起こしたと言われることがありますが、クーデター後の政権運営についても素早い動きをしていますね。
明智光秀については以下の記事でも詳しく解説しています。
織田信長と本能寺の変!黒幕は誰?明智光秀の謎と真相に迫る
徳川家康
家康はというと、命がけの逃避行「伊賀越え」をすることになります。
当然、畿内にいた織田家の有力武将である家康も光秀から命を狙われる存在でした。
伊賀越えに関しては同時代の一次史料が少なく、家康が東海地方に帰還するルートもよくわかっていないのが現状で、伊賀を通っていないのではないかとする説すらあります。
実は本能寺の変は徳川家康が黒幕ではないかという説があります。詳しくは以下の記事でご確認ください。
本能寺の変『徳川家康黒幕説』は成立するのか?考察してみた!
豊臣秀吉
本能寺の変が起きた時秀吉は中国地方で戦っていましたが、変の報せを聞いて急遽毛利氏と和睦。
大急ぎで畿内へと戻り、光秀を討って主君信長の敵討ちを果たします。
これが有名な「中国大返し」と「山崎の戦い」です。
秀吉の中国大返しに対して、あまりにも動きが早すぎるため「事前に本能寺の変を知っていたのではないか?」とする説が囁かれてきました。
『どうする家康』では、秀吉は本能寺の変には関与していないものの、信長が何者かの謀反によって命を落とすことは想定内だったというような設定でしたね。
豊臣秀吉については以下の記事でも詳しく解説していますので、気になる方是非ご覧ください。
豊臣秀吉はいかにして天下統一を果たした?天下までの戦いや死因を解説
「どうする家康」第28回『本能寺の変』もはや恋。本能寺が変になるのは大河ドラマの伝統│まとめ
『どうする家康』第28回では、家康は信長の死のショックに中々立ち直れない一方、秀吉は早々に切り替えて次の一手を打ちました。
自分を取り立ててくれた恩人である信長の死を悲しむ一方で、その後のしたたかな切り替えの速さには秀吉の二面性が感じられる描き方でした。
毛利氏とは講和を結びましたが、毛利氏がその気になれば秀吉との講和を反故にして挟み撃ちをしかけることもできたはずです。
「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」とも歌われる秀吉ですが、大きなリスクを冒してでも中国大返しという博打をしかけた胆力こそが、彼を天下人たらしめたのかもしれません。
『どうする家康』ではしばらく秀吉の天下取りにスポットライトが当たりそうです。
こちらも楽しみに見ていきたいですね。