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どうする家康・31話『史上最大の決戦』ネタバレ解説!家康が秀吉を倒したかった本当の動機とは?
「どうする家康」31話『史上最大の決戦』では、ついに徳川家康と羽柴秀吉の両雄が戦った天下分け目の戦い「小牧・長久手の戦い」の前哨戦が描かれました。
だんだんと戦国大河らしくなり、盛り上がってきましたね。
今回の記事では、家康と秀吉がなぜ戦うことになったのかその経緯について解説していきます。
※本記事は史実解説のため、NHK大河ドラマ「どうする家康」のネタバレを含む内容がございます。予めご了承ください。
国一つ買える『初花肩衝』
「どうする家康」31話冒頭で、柴田勝家をやぶった秀吉に対し、家康が「初花肩衝(はつはなかたつき)」と呼ばれる小さな焼き物をプレゼントしていました。
この初花肩衝は現存しており、天下の名器として現在も珍重されている物です。
「どうする家康」31話では、初花肩衝を受け取った秀吉はたいそう喜んでいましたが、この焼物はそれほどまでに貴重なものだったのでしょうか。
まずは、「国が一つ買える」とも言われた天下の名器・初花肩衝についてご紹介します。
初花肩衝とは?
この初花肩衝は、当時最も貴重な茶器の一つでした。
「肩衝(かたつき)」とは、肩の部分が角張っている茶入れを指します。
家康が秀吉に贈った肩衝は、新田・楢柴・初花・の「天下三肩衝(てんかさんかたつき)」のうちの一つに数えられる名器中の名器でした。
初花肩衝の歴代所有者
家康は、そんな天下の名器・初花肩衝をどのようにして手に入れたのでしょうか。
もともとは京都の商人である大文字屋が所有していた初花肩衝を、上洛した織田信長が入手。
その後信長の息子・信忠に譲られましたが、信忠の死後、松平親宅(ちかいえ)という家康の親戚にあたる商人のもとに流れ、そこから巡り巡って家康の手元にたどり着いたようです。
「どうする家康」31話では、信長から貰ったというようなことを家康が言っていましたが、実際には初花肩衝が信長→家康と直接渡ったわけではありません。
ともあれ、初花肩衝は信長・家康・秀吉の三人の天下人に愛された名器だったということは間違いないでしょう。
受け取った秀吉の反応
「どうする家康」31話では、初花を受け取るも、家康本人が来ないことに不満そうだった秀吉。
実際に秀吉が初花を手にしてどういう反応だったかはわかりませんが、秀吉は家康に対し、お礼として「不動国行(ふどうくにゆき)」と呼ばれる名刀や鷹などをプレゼントしています。
こうしたやりとりを見ても、この段階での家康・秀吉の関係は悪くなかったと見てよいでしょう。
家康vs秀吉へ
しかし、ここから家康と秀吉の関係は急速に悪化していくことになります。
「どうする家康」31話では、家康が「このままでは欲深い秀吉に領地を取られてしまう、だから秀吉と戦うのだ」というようなことを言っていましたが、実際には家康は別の事情で秀吉を警戒していたようです。
天正壬午の乱を自力で収拾させ、信濃・甲斐を手に入れることに成功した家康は、秀吉に対し関東情勢を自分に任せるようにと言いますが、秀吉は関東情勢に首を突っ込む姿勢を見せました。
織田家の実権を握っている秀吉が家康の関東統治に口を出すのは当然といえば当然です。
しかし秀吉は、天正壬午の乱の際に家康に援軍を送ることができていません。
それなのに、自力で天正壬午の乱を収めた今更になって秀吉に口を出されることに対して、家康は拒否感を抱いたと言われています。
この章では、こうして対立していく家康・秀吉の関係をネタバレ解説していきます。
信雄 安土城追放
秀吉は、新たに大坂城を築城し、それまで織田家の政庁であった安土城から織田信雄を追放。
さらに織田信長の嫡孫・三法師も京に移動させます。
このようにして秀吉は、これからは織田ではなく秀吉の時代だということを世間に大きくアピールしました。
これに納得がいかないのは織田信雄です。
そもそも、信雄を天下人にするという名目で柴田勝家や織田信孝と戦ってきたわけですから、これは明らかに信雄に対する秀吉の裏切り行為です。
どうする家康では、サイコパス気味に描かれている豊臣秀吉ですが、その人物像について過去の史実をもとに考察した記事もございますので、是非こちらも併せてご覧ください。
豊臣秀吉はどんな性格だった?史実の残るエピソードを紹介!
家康・信雄の合議 三家老惨殺
このような秀吉の横暴に不信感を露わにした信雄は、自身と同じように秀吉と折り合いの悪かった家康と接触します。
信雄は家康の密議の末、秀吉との密通が疑われた三人の家老を惨殺しました。
家康は、三家老惨殺の三日後には信雄のいる清須へと到着していることからも、家康はこの事件を事前に知っていたと思われます。
「どうする家康」31話では、家康のほうが信雄を焚き付けるような描写でしたが、実際に信雄・家康の合議があったとする史料も見つかっています。
ともあれ、この事件は信雄・家康の秀吉に対する宣戦布告という意味を持つには十分でした。
織田信長の息子として戦国の乱世を生き抜いた織田信雄については、以下の記事で詳しく解説しています。是非こちらも併せてご覧ください。
天下人の息子『織田信雄』戦国乱世を生き抜いた異能生存体。家系図も紹介!
各勢力への調略
打倒秀吉のため、家康・信雄は味方を集めるべく各地の勢力の調略に奔走します。
四国の長宗我部元親(ちょうすがべもとちか)の弟・香宗我部親泰(こうそかべちかやす)や紀州の雑賀衆・根来衆(さいかしゅう・ねごろしゅう)に手紙を出し、秀吉を倒すべく味方になるよう要求しました。
「どうする家康」31話では、池田恒興に対しても調略を仕掛けていましたが、これに関しては同時代の一次史料が残っているわけではありません。
ただし、恒興は対秀吉の要所・岐阜にいた上、織田信長の乳兄弟として織田家とは親戚のような間柄。
こうした当時の事情からも、実際に信雄が彼を頼った可能性は十分に考えられます。
しかし恒興は、昔から恩のある織田家ではなく、山崎の戦いから共闘の関係だった秀吉に味方することを選んだようです。
小牧・長久手の戦い
反秀吉の勢力を次々と味方につけた家康と信雄は、打倒秀吉を掲げて全国規模の大戦を戦うこととなりました。
「小牧・長久手の戦い」の始まりです。
「小牧・長久手の戦い」と聞くと、現在の愛知県で行われた局所的な戦いのような印象を受けますが、実際には様々な勢力を巻き込んだ日本全土の大戦だったのです。
「関ヶ原の戦い」が関ヶ原だけでなく全国で戦いが行われていたのと同じですね。
ここからは、史上最大の決戦「小牧・長久手の戦い」のネタバレ解説です。
全国規模の戦い
小牧・長久手の戦いにおける、日本各地の主な戦いを見てみましょう。
越中の佐々成政は織田家家臣という立場を貫き、秀吉と戦うことを選択。
上杉景勝・前田利家・丹羽長秀といった有力武将たちに囲まれながらも善戦しました。
四国では長宗我部元親が、秀吉側についていた淡路国の仙石秀久と戦っています。
中国大返しの際に一度は秀吉と和睦を結んだものの、依然として反秀吉の立場をとっていた中国地方の大大名・毛利輝元は、宇喜多秀家と相まみえました。
前述のように信雄・家康が調略に成功していた根来衆・雑賀衆は、黒田官兵衛や蜂須賀家政といった秀吉の腹心たちと戦っています。
このように、全国で秀吉vs反秀吉の激しい戦いが繰り広げられていたのです。
一進一退の攻防
そして、もちろん現在の愛知県・小牧長久手地方でも激しい戦闘が起こっています。
池田恒興・森長可(もりながよし)の猛攻に遭い、信雄・家康方の要衝だった犬山城が陥落しました。
これに対し、家康の重臣・酒井忠次は奇襲で池田・森勢を撃退することに成功しています(羽黒の戦い)。
このように、小牧・長久手の戦いはどちらかが勝てばどちらかが負ける、まさに一進一退の攻防が繰り広げられていたのです。
森長可が登場
「どうする家康」31話で、城田優さんのサプライズ出演が話題となった森長可(もりながよし)について解説します。
信長の小姓を務めたことで有名な森蘭丸(森乱)の兄にあたる人物です。
父の森可成(よしなり)の代から信長に仕えていましたが、彼が浅井長政との戦いの中で戦死した後、若くして森家の当主となっていました。
長可は血気盛んな若武者として知られ、武田攻めでも大活躍したと言われており、「鬼武蔵」というあだ名も付けられたほどです。
また、槍の名手でもあった彼は、刺した相手がまるで骨が無いかのようにズバズバと槍が貫く様から、所持していた槍が「人間無骨」と称されるといったエピソードも残っています。
歴史の専門家が戦国武将の強さをガチ考察した記事もございますので、気になる方は是非こちらもご覧ください!
最強の戦国武将は誰だ?歴史の専門家が各武将の強さを考察!
どうする家康・31話『史上最大の決戦』ネタバレ解説!家康が秀吉を倒したかった本当の動機とは?│まとめ
以上、「どうする家康」31話『史上最大の決戦』のネタバレ解説でした。
徳川家康・羽柴秀吉という後の天下人が直接ぶつかったこの大戦は、誇張でもなんでもなく、歴史を動かす「史上最大の決戦」だったのです。
小牧・長久手の戦いの戦いについて、より詳しく調べてみたい方は、関連記事・動画などもチェックしてみてください。