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江戸時代の生活は自由な時間が多い?1日の生活スケジュールを解説!
戦国時代が過ぎ去り、徳川家康が現在の東京である江戸に幕府を開いてから崩壊するまでの約260年という長い歴史のある『江戸時代』。
平和な江戸の町で、武門の棟梁たる将軍や人々はどのような生活を送っていたのでしょうか?
当記事では江戸時代という時代について、スマホもテレビもない江戸時代の人たちは何を娯楽にしていたのか、そして江戸時代の将軍の1日の生活を徹底的に解説しました。
江戸時代の生活が詳しくわかる記事になっていますので、興味のある方はぜひご覧ください。
江戸時代とはどんな時代?
江戸時代は徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利し、征夷大将軍に任じられたことがきっかけで江戸に幕府を開いてから崩壊するまで、なんと約260年に渡って栄えた「歴史上1番平和だった」とも言われる時代です。
「歴史上1番平和だった」と言われるだけあり、戦争だらけだった戦国時代から一変し、長期にわたり戦争の無いとても穏やかな時代でした。
また、今までの時代とはうって変わって庶民も学問を学ぶようになり、様々な美術や芸術・伝統文化なども誕生しました。
江戸時代の生活
ここでは江戸時代の生活について詳しく見ていきましょう。
今回は以下の5つに絞って解説します。
①住居
②服装
③食事
④学問
⑤お店
江戸時代の生活①住居
江戸時代の住居と聞いて想像するのは「お城や城下・長屋」ではないでしょうか?
実は、江戸時代の人々はお城や長屋の好きなところに住めるというわけではなく、将軍や武士・商家など、職業や位によって異なる家に住んでいました。
将軍の住居
江戸時代の将軍は江戸城の内郭に位置する本丸御殿に住んでおり、この本丸御殿は「表・奥・大奥」の3区画で構成されています。
【表】
・参勤交代で来た大名が将軍に謁見する場所
・役人が政務を行う場所
【奥】
・将軍の住居兼執務室
・老中などの政府の重役と面会した場所
・くつろぐ場所
【大奥】
・正室である御台所
・女中がいる場所
上記の「大奥」は女性の世界となっており、「奥」との間の廊下には鍵がかかっていて将軍でも勝手に入ることは許されていませんでした。
武士の住居
武士は参勤交代で江戸に参勤する大名に与えられた大名屋敷、旗本が主君の知行に置いた屋敷で武家が住む旗本屋敷、将軍に直接謁見する格式の無い大名に与えられた御家人屋敷、そして足軽と呼ばれる下級の武士は足軽長屋に住んでいました。
大名屋敷:参勤交代で江戸に参勤する大名が住む
旗本屋敷:旗本が主君の知行に置いた屋敷で武家が住む
御家人屋敷:将軍に直接謁見する格式の無い大名が住む
足軽屋敷:足軽と呼ばれる下級の武士が住む
この足軽が住んでいた足軽長屋は新潟県新発田市に現存してあるため、実際に越後新発田藩の足軽長屋を見ることができます。
商家・職人の住居
商家や職人の住まいは町屋敷という幕府によって与えられた地域にある町屋(商屋)に住んでおり、武士の住んでいる家とは異なって土地の私有や売買が可能でした。
町屋のイメージは、いわゆる長屋です。
当時の長屋は1軒1軒がかなり密着しており、1軒でも火事になってしまうと延焼が起きてしまうため、火災防止として瓦屋根や塗屋造の町屋が登場しました。
また、プライベートが重視されていなかった当時は各家にトイレやお風呂がついていないため、トイレは共同で使用し、お風呂は湯屋と呼ばれる銭湯に行って入ったり身支度をしたりしていたそうです。
当時のような町並みは京都を中心に残されているので、京都など町屋が残っている地域へ行くと昔を感じることが可能です。
江戸時代の生活②服装
江戸時代の服装と言えば「ただの着物でしょ?」と思うかもしれませんが、「和の服飾文化が花咲いた時期」と言われるほどおしゃれな服装が楽しまれていました。
また、当時は政府によって衣替えの日が決められており、武士たちは衣替えの日を厳守するために裏地を取って「単」に縫い直し、綿を詰めるなどして1つ1つ手縫いで作っていました。
約260年続いた江戸時代の服装は初期・中期・後期と3つの時期に分けられて発展していったため、ここでは初期・中期・後期、それぞれの服装について解説します。
江戸時代初期の服装
江戸時代初期の服装はまだおしゃれとはほど遠く、着流しと言われるさらっと着物だけを羽織るスタイルで実用性が重視された服装でした。
帯もデザインより実用性が重視された物が主流で、袴や長襦袢も着ないことが多かったようです。
江戸時代中期の服装
江戸中期になると服装の特徴が少しずつ変わり始めます。
武家の間で発達した家紋を歌舞伎役者が好んで着ていたことがきっかけで、庶民の間では庶民感覚の家紋が愛用されるようになりました。
中期にもなると羽織も登場し、帯は少し凝ったおしゃれな形をした太鼓結びをする人なども出てきます。
江戸時代後期の服装
江戸時代後期になってくると、なんと幕府から派手な着物を禁止されてしまいます。
しかし、派手な着物が着れなくなった代わりに小物や裏袖、髪飾りなどでおしゃれをするようになりました。
また、商家や職人の妻たちは一般的に着物の上からエプロンを着用していましたが、お料理をするために着用しているのではなく、数少ない着物が汚れないためという目的で使用されていました。
江戸時代の生活③食事
江戸時代になると、1日3食の食文化が発生します。
江戸時代初期は1日2食が基本でしたが、江戸時代中期になってくると明かりを使って夜遅くまで起きている人が増え、長く起きているとお腹が空くからという理由で1日3食を食べるようになります。
さらに主食は稗(ひえ)や粟(あわ)から白米に変わりましたが、住居同様に食べ物にも位が関わってきます。
【庶民】
白米と味噌汁メイン
簡単なおかず
【武士や大名】
白米とみそ汁に加えて、昼と夜に納豆・豆の煮物
月に3回ほど魚
【将軍】
白米とみそ汁に加え、魚、時にはヒラメや鯛などの高級魚
卵料理や酒もたしなむ
当時の魚は高級品とされており、武士や大名は月に3回程度しか食べることができませんでした。
また当時は生類憐みの令が発令され、お肉を食べることが禁止されていたため馬肉を「さくら」猪肉を「ぼたん」鶏肉を「かしわ」と呼び、こっそり食べられていたそうです。
さらに江戸時代にも外食文化があり、当時の四天王と呼ばれていた「そば・鰻・寿司・天ぷら」を外食で楽しむという人も出てきました。
江戸時代の生活④学問
戦国時代は武将のみが学問を習いましたが、第4代将軍の徳川家綱から武士も学問を習うことが推奨されるようになると、お金を払って学問を学ぶという文化が浸透し始めます。。
寺子屋に通ってそろばんや読み・書きを学び、日本古来の思想を学習する国学や医学的知識を学ぶ蘭学、浮世絵が発達したのも江戸時代であるといわれています。
江戸時代の生活⑤お店
江戸時代になるとお店も栄え始めました。
日本初のデパート「三越」の前身である「越後屋」ができたのもこの江戸時代です。
町屋や商人が住んでいた城下町が賑わっており、そして屋台や茶屋の普及によって様々な種類のお店が増え、お店で服やかんざしなどのアクセサリーも買えるようになりました。
江戸時代の三大娯楽とは?
映画館もスマホも遊園地もテレビもない江戸時代の娯楽はどういったものがあったのでしょうか。
ここでは江戸時代の三大娯楽について解説します。
三大娯楽①相撲
三大娯楽の1つ目は相撲です。
相撲は現代にもあるためかなり親しみのある「日本のスポーツ」の1つではないでしょうか。
歌舞伎や吉原の遊郭などのお金のかかる娯楽に比べて、相撲は手軽・硬派な娯楽だったため多くの人から人気を集めていました。
多数の浮世絵に描かれるほどの人気を誇り、相撲選手はアイドルだったと言われるほど人々に愛されていたそうです。
三大娯楽②歌舞伎
2つ目の娯楽は相撲同様に現代でも愛されている日本特有の民衆演劇、歌舞伎です。
そもそも歌舞伎は、戦国時代に巫女出身の出雲阿国という女性が始めた「かぶき踊り」が発展したもので、当時は露出度の高い服装で踊ったりと18禁に近い所があるなど現代の歌舞伎とはかなり異なるものでした。
その後、さらに女性の露出度が上がったため社会的にあまりよくないと判断された結果、女性が歌舞伎を行うことが禁じられ、野郎歌舞伎と呼ばれる男性のみの世界になったという歴史があります。
江戸時代では歌舞伎はミュージカル感覚で多くの人に愛されていましたが、お金がかかる娯楽の1つのため、余裕のある人がこぞって楽しんでいたというイメージです。
三大娯楽③吉原の遊郭
三大娯楽の3つ目は江戸幕府によって公認された遊郭、吉原の遊郭です。
大人気アニメである「鬼滅の刃~遊郭編~」が配信されたことで、遊郭という言葉を知っている方が多いかもしれないのですが、実は遊郭は江戸時代に実際に存在した「遊女を集めた場所」の事を指します。
遊女とは春を売る女性のことで、財力のある武士や商人を相手に売買春に当たる行為が行われていました。
豊臣秀吉が政策を始めるまでは公認された遊郭などはなく、遊女屋と呼ばれる場所を作り各地にいくつか散らばっていたのですが、秀吉の政策を引き継いだ徳川政権は「傾城町」と呼ばれる遊郭の建設を許可します。
傾城町は現在で言う中央区日本橋人形町付近にあたります。
これが吉原遊郭の起源になっており、中央区日本橋人形町付近から浅草に移転後も栄え続け、昭和まで吉原遊郭は続きました。
江戸時代の1日のスケジュール【将軍編】
さて、いよいよ本題の「江戸時代の将軍の1日の生活」について徹底解説します。
将軍と聞くと真っ先に「暴れん坊将軍」などが思い浮かんでくると思いますが、あれはあくまでもドラマのお話であって、実際の将軍がどんな1日を送っていたのか気になりますよね。
それでは朝から順番に見ていきましょう!
【朝】6時起床
将軍の朝は決まって6時に起床します。
それより遅く起きることはもちろん、早く起きることまで禁止されていました。
将軍が早く起きてしまうと周りの人たちが大変だからなのでしょうか…?
早く目が覚めてもお布団の中でごろごろしているしかないですね。
起床後は現代の人々と同じく歯を磨き、顔を洗い、髪の毛やひげ等の身だしなみをしっかりと整え、朝ごはんを食べます。
朝の身支度を終えたら9時に大奥へ行き、奥さんである御台所と一緒に歴代将軍の位牌へ拝礼をして朝やることは終わりです。
【午前中】10時にお仕事開始
将軍は10時からお仕事を始めます。
将軍の仕事は「奥」で将軍が老中と面会をして決裁を行い、「表」では参勤交代で江戸にやって来た大名から謁見を受けるなどです。
仕事の途中でお昼ご飯を食べたら、13時に仕事終了です。
そうです、将軍の1日の勤務時間はなんとたったの2時間。非常にホワイトですね。
【午後】自由時間
なんと13時以降は自由時間です。
自由時間ではありますが、ゴロゴロしたりだらだらするわけではありません。
・学者から講義を受ける
・剣術の鍛錬
・弓の稽古
・乗馬の訓練
自由時間では、以上のような自分磨きに時間を使います。
もちろん、自分磨きだけでなく謡曲や舞いなどの趣味を楽しんだり、御台所とくつろぐ時間もしっかりあります。
暴れん坊将軍のように江戸の町に出て町人と触れ合っていた将軍もいたかもしれませんね。
【夕方】5時に夕食
将軍は5時に夕食を食べます。
夕食を食べたら入浴し、就寝です。
しかし!
将軍の夜にはルールがありました。
【夜のルール】将軍はハーレム状態
大奥には1,000人以上の女性がいたため将軍は常にハーレム状態でしたが、誰にでも手を出していいというわけではありませんでした。
将軍と一夜を共にできるのは将軍の跡継ぎを産む役目を担った正室と側室のみ。
さらに、跡継ぎの母親が誰なのかを明確にするため、隣の部屋では監視役の女中が常に様子を伺っていました。
勤務時間2時間で午後は自由時間、そして1,000人以上の女性に囲まれているというお気楽そうで羨ましい将軍の生活ですが、色々と気苦労もありそうですね…
江戸時代の生活は自由な時間が多い?1日の生活スケジュール|まとめ
今回は江戸時代の生活と1日のスケジュールについて説明しました。
江戸時代の将軍は1日2時間という勤務時間でご飯も豪華なものが出され、ハーレム状態という生活を送りますが、学問を学んだりお稽古を受けたりと自分磨きにも時間を使っていました。