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【戦国武将の生活】戦がないとき武将はどう過ごしていたのか?食事や趣味、教養など解説!
みなさんこんにちわ。戦国武将大好きYouTuberのミスター武士道です。
本日は、戦国武将の普段の生活についてお話したいと思います。
ひたすら戦に明け暮れているイメージのある戦国武将ですが、もちろん彼らにも戦のない日常が存在します。
彼らは普段、どのような日常を送っていたのでしょうか?
後北条氏に伝わる家訓から、当時の武士たちの生活を推測してみましょう。
早雲寺殿二十一か条に見る武士の生活
戦国武将の普段の生活を推測できる資料の一つに、早雲寺殿二十一か条というものがあります。
これは北条早雲こと伊勢宗瑞が定めた後北条氏の家訓です。(北条早雲が作ったものではないという説もあります。)
この家訓には、武将の日常生活におけるあるべき姿が書かれており、武将たちの普段の生活を想像できる内容になっています。
(詳しくは小田原市のホームページなどに記載されています。)
武士は早寝早起き
まず、朝は4時~5時頃に起きることを推奨しています。
かなり早起きですね。鶏の鳴き声が目覚まし時計代わりだったかもしれません。
そして、朝起きたら行水をして身を清め、神仏を拝みます。
続いて、仕事にいく準備です。服装を整え、その日のスケジュールを確認します。
そして家族や家臣たちに指示を出した後、朝6時までに城へ出勤するようにと書かれています。
二十一か条に食事のことは書かれていませんが、おそらくこの間に朝食を済ませています。
また、この二十一か条の中には、仕事中に気を付けることなどもたくさん書かれています。
たとえば、出仕したらいきなり主君の前に顔を出さずに、同僚の様子を伺えとか
重臣たちの前では低姿勢でいたほうがいいなど、現代の会社にも通じそうな教えがいろいろあります。
そして、仕事を終え、帰宅したら夜6時までには門を閉じるようにと書かれています。
このことから、武将たちの普段の仕事は夕方の5時ごろには終わっていたのでしょう。
また、帰宅したら、家の周りを点検し、壊れている場所があれば修理を命じます。
戦国の世ですから、家の周りに異変がないか、常にチェックしておく必要があったのでしょう。
そして夜更かしはせず、夜8時には寝るようにしていたようです。
当時は、電気もなく、灯りも少ないですから、節約のために早く寝るのはもちろんのこと
泥棒などは必ず夜遅い時間にやってきますから、防犯のためにも夜遅くまで酒を飲んだりして爆睡してしまうとダメだということみたいです。
武将たるもの、規則正しい生活を送るのが大事だということがわかりますね。
武将の趣味
また、仕事以外の面では「読書」と「歌道」を推奨しています。
読書に関しては、常に本を携帯し、暇さえあれば人目を遠慮しながら読むようにと書かれています。
文字は読まないと忘れてしまうものだから、常日頃から読書する習慣をつけよ、ということですね。
歌道もまた、学ぶことで言葉遣いが上品になることから推奨されているようです。
ボキャブラリーの豊富さはそれだけで品に繋がるということですね。
逆に、あまり推奨していないのは、しょーもない友人との付き合いです。
しょーもない友人とは「囲碁・将棋・笛・尺八」などの仲間のことだそうです。
これらの趣味は、知らなくても恥ではないし、習っても害はないが、無駄な日々を送るよりはマシな程度である、とバッサリ切り捨てています。
今で言うと、「ゲーセンやカラオケで遊んでてもしょうがないよね。」って感じでしょうか。
武将の食事
ここで、戦国武将の食事を見ていきましょう。
武将たちはどんな食事をとっていたのでしょうか?
現代の日本食のルーツ
農民たちはひえやあわを中心とした雑穀と野菜が主食でしたが、武将たちはさすがに良い食事をしています。
現代にもある日本食の原型となるようなもの……といえば想像しやすいでしょうか。
米、野菜のほかに、鴨などの鶏肉や、魚やアワビなど海の幸も食べられていました。
「敵に打ち勝って喜ぶ」という意味を込めて「打ち鮑」「勝ち栗」「昆布」を使った料理を食べる三献の儀式というものもあったそうです。
昆布を食べてよろこんぶ。ひどいダジャレです。日本人は昔からダジャレが好きだったんでしょう。
また魚は海の魚だけでなく、鯉や鮒などの淡水魚も食べられています。
東北の武将、最上義光は「鮭」が大好きで、「鮭様」と呼ばれていたそうです。
お蕎麦やうどん、そうめんなど、今ではお馴染みの日本食の原型も戦国時代にはすでにあります。
また、世界的に有名な日本の「寿司」ですが、これは江戸時代以降の食文化になります。
一応、ご飯のなかに魚を入れて放置して発酵させるという謎の調理で作られた「慣れ鮨」と呼ばれるものはあったようです。
この「慣れ鮨」も、現代に郷土料理として残っている地域があるようです。
このように、現代の日本料理のルーツは既に戦国時代に存在しました。
しかし、戦国時代にはまだ「醤油・砂糖」がなく、「味噌・塩・酢」が主な調味料になります。
そのため、現代に比べると質素な味付けだったと思われます。
ただし、織田信長は濃い味付けを好んでいたようです。
身体を酷使する武将にとって、塩分はかかせなかったのでしょう。
戦場での食事
最後に、戦場での食事に触れておきます。
腹が減っては戦はできぬ。戦いに赴く兵士たちに食事は欠かせません。
しかし、戦場でのんびり料理をするわけにもいきません。戦場ではインスタントにすぐに食べられる食事が求められました。
武将たちの間で人気があったのが「湯漬け」です。
あらかじめ炊いておいたご飯をキープしておき、冷めたご飯にアツアツのお湯をかけて食べるのです。
当時は、冷めたご飯を温める電子レンジのようなものはありませんので、お湯をかけることで、温かさを取り戻したのです。
これなら米を炊く時間が省略できますし、サラサラスピーディーに食べられるので忙しい武将にピッタリです。
信長も桶狭間の戦いの前には、立ったまま湯漬けを食べたというエピソードがあります。
その他のインスタント飯として、炊いたご飯を水で洗ったあと、天日干しして携帯できるようにした「乾飯」、味噌をしみこませて、お湯さえあればいつでも味噌汁が飲める「芋がら」があります。
「乾飯」はそのままかじってもいいし、お湯や水でふやかして食べる方法があります。
「芋がら」は芋の茎を縄状にしたものなので、必要があれば縄として、モノを縛ったりするのに使われたようです。
食べるだけでなく、戦場で道具として活用するとはなんとも合理的な考えですね。
まとめ
戦がないときの武将の生活をいろいろと推測してみましたが、いかがでしたでしょうか。
武将といえど社会の一員。現代社会で生きる我々と同じように仕事に努め、ご飯を食べて生活していたと考えると感慨深いものがありますね。
戦国時代の食事も、新鮮な食材を使っているので、意外と美味しいかもしません。
それでもやっぱり、醤油がないのはツライ!!