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明智光秀はどんな人だった?『麒麟がくる』から激変した人物像を解説!
2023年の大河ドラマ「どうする家康」では、卑怯で小物感のあるキャラクターとして描かれた明智光秀。
2020年に放送された明智光秀主役の大河ドラマ「麒麟が来る」で見せた凛々しい姿からの激変ぶりに驚かれた方も多いのではないでしょうか。
明智光秀に関する残存する史料は決して多くなく、革新者・織田信長や苦労人・徳川家康などの有名戦国武将と比較すると、どんな人であったかというキャラクター像が掴みにくい人物でもあるのです。
そんな明智光秀が本当はどんな人だったのか、登場作品や時代考証を参考にしながら紐解いていきましょう。
目次
大河ドラマでは明智光秀はどんな人だった?
戦国時代を舞台にした作品で、高い登場率を誇る明智光秀。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に次いで、その名が有名と言っても過言ではありません。
そんな明智光秀が登場する大河ドラマ作品が多くある中で、2020年には「麒麟が来る」で主人公に抜擢されています。
大河ドラマの中でどんな人として描かれたのか、詳しく見ていきましょう。
実直な主人公・2020年大河ドラマ「麒麟が来る」
2020年大河ドラマ「麒麟が来る」では実直で真面目な主人公として描かれた明智光秀。
俳優の長谷川博己さんが演じており、従来の明智光秀とは異なった解釈でその人生が描かれました。
そんな「麒麟が来る」の明智光秀は、織田信長の暴走阻止をすることが本能寺の変の動機として採用されていることもあり、正義感に満ちた凛々しいキャラクターとして登場。
このように、暴走阻止説を切り口に明智光秀を描くと、善人で正義感に満ちた人物像が完成すると言うことが分かります。
イメージ通りの明智光秀・1973年大河ドラマ「国盗り物語」
小説家として知られる司馬遼太郎。
司馬遼太郎とは?
「竜馬がゆく」「燃えよ剣」など有名歴史小説を執筆した小説家。
彼が著した「国盗り物語」は、同名の大河ドラマの原作としても有名です。
「国盗り物語」での明智光秀は、本能寺の変の動機を織田信長への怨恨としている、従来のイメージ通りのキャラクターとして描かれました。
保守的で既存の文化を尊重する性格が、茶の湯や和歌に精通しているという脚色を交えて表現されています。
織田信長のパワハラ・朝廷や幕府を蔑ろにする姿勢に恨みを抱き、本能寺の変を実行。
全てが終わった後に放った「これでようやく眠れる」という台詞は、視聴者に大きなインパクトを残しました。
江戸時代の創作話?織田信長は明智光秀を虐めていたのか
織田信長と明智光秀を語る上で、徳川家康の接待のために明智光秀が手配した食材が腐っており、織田信長による激しい折檻を受けた、というエピソードは外せません。
本能寺の変を起こした動機が怨恨であると言うのが従来のイメージ通りのキャラクターとなった背景に、このエピソードの知名度が高いから、という理由も考えられますよね。
しかし、一次史料では、織田信長が明智光秀に対して激しい折檻をしていたと言う記載は確認できておらず、そのイメージは江戸時代の人々が創作話として世に広げたものであると言われています。
江戸時代に著された明智光秀に関する書物は多々あり、代表的なものに「太閤記」「豊鑑」「明智軍記」などがありますが、いずれも怨恨説が採用された上で展開しているものです。
明智光秀が織田信長に恨みを抱いていた、というイメージは江戸時代に創作されたもので、史実であることが証明されていない点にも留意しておきたいですね。
明智光秀と本能寺の変の関係については下記の記事で詳しく解説しているので、詳しく知りたい方はぜひご参考ください。
織田信長と本能寺の変!黒幕は誰?明智光秀の謎と真相に迫る
戦後・明治…近代の人々による明智光秀の評価
明智光秀の創作作品上での活躍を確認することが出来た所で、実際の明智光秀の姿について理解を深めていきたいですよね。
実際の明智光秀の姿に興味を持って考察したのは、現代に生きる我々だけではありません。
我々よりも戦国時代に近い時代に生きた人々の考えを知ることが出来る史料がいくつか残っています。
昭和や明治を生きた人々が明智光秀をどんな人と評価していたのか確認していきましょう。
戦後を生きた歴史学者・高柳光寿による明智光秀
戦後を生きた歴史学者・高柳光寿は、明智光秀のことを、合理主義者であると評しています。
そもそも明智光秀は、フリーターも同然のような状況下にあった所を、織田信長に引き上げられたことで日の目を浴びることができ、出世を果たしました。
その歴史から、織田信長と似て合理主義者であったことが読み取れると言うのです。
確かに、自分と大きくかけ離れた性格の人を信頼して側近にするというのは、考えづらいですよね。
そのため、高柳光寿による明智光秀評は、自身で天下をとりたいと考えていた野心家であり、合理主義者であったとされています。
明治時代に行われた悪人番付!?・古今善悪見立一覧
古今善悪見立一覧とは、明治時代に悪人と善人を分けてリストにし、新聞に掲載されていたものを指します。
明治時代を生きた人々の価値観を鑑みることが出来る為、歴史好きの中で人気が高いコンテンツの1つでもあります。
江戸時代に広まった儒教の教えが根付く明治時代を生きた人々の評価によると、明智光秀は悪人。
儒教の教えでは、主君に対して忠義を尽くすのが良いとされているため、主君を裏切った明智光秀の評価が低くなってしまうのは、仕方がないのかもしれませんね。
近代を生きたジャーナリストの評価・小泉策太郎・山路愛山
明治から昭和にかけて生きたジャーナリスト・小泉策太郎と山路愛山は、「明智光秀が悪人」という意見とは異なった見解を示しています。
戦国時代に儒教の考えはないため、一概に明智光秀が悪人とは言えず、儒教の考えに犯されすぎた状態での評価は、公平さに欠くだろうという考えを持っていたのです。
確かに、主君に対して忠義を尽くすのが良しとされるのであれば、「将軍を追放した織田信長は?」「豊臣秀吉の嫡男・豊臣秀頼を討った徳川家康は?」という疑問が湧いてきますよね。
明智光秀が悪人として評価されることに疑問を持つジャーナリストもいたということが分かりました。
歴史家・徳富蘇峰
同じく明治から昭和にかけて生きた歴史家・徳富蘇峰も、明智光秀が悪人ではなかったと評価。
しかし一方で、本能寺の変は突発的な行動で、計画性が無かったと評しています。
徳富蘇峰は、明智光秀が、条件が揃い巡ってきた機会(明智光秀以外の有力織田家臣たちが近畿から離れた場所へ散り散りとなっている・織田信長親子が警護が手薄な状態で京に宿泊している)に、これまで鬱積していた不満を爆発させるかのように、謀反を起こしたのではないかと考えています。
確かに、明智政権は三日天下と呼ばれる程短い期間で破綻しており、結局は豊臣秀吉が政権を握ったため、無計画であるという考えと辻褄が合いますよね。
このように、悪人と言うわけでもなく、かといって正義感が強い訳でもなく、たまたま機会に恵まれてしまったという明智光秀評も存在するのです。
やはり悪人だった?戦国時代を生きた人々による明智光秀の評価
ここまでで、戦国時代以降を生きた人々による考えを確認することが出来ました。
戦国時代以降に生きた人々の意見は、一概に悪人であると言うよりも、戦国時代との価値観の相違により、悪人として見えているのでは無いかというものが見受けられます。
現代においても、主人公としての明智光秀とそうではない明智光秀では、見え方がかなり異なりますよね。
そのため、実際にどのような人物であったかを読み解くには、明智光秀と同じ時代を生きた人々の記録を詳しく見る必要があります。
同時代を生きた人々が明智光秀をどんな人だと感じていたのか、確認していきましょう。
織田信長家臣・太田牛一
信長公記の著者としても知られる織田信長家臣・太田牛一。
信長公記とは?
織田信長ついて記載された史料。
彼は織田信長を英雄視し、主君として仰いでいたこともあり、明智光秀のことは大悪人であるとしています。
豊臣秀吉家臣・大村由己
秀吉御伽衆として豊臣秀吉に仕えた大村由己。
本能寺の変後、織田信長の仇討ちとして豊臣秀吉が明智光秀を山崎の戦いで成敗しました。
大村由己は立場上、その豊臣秀吉の行いを正当化する必要があるため、明智光秀については悪人であるとしています。
宣教師・フロイス
織田信長の支援を受け、南蛮との貿易が盛んであった戦国時代に日本に訪れた宣教師・フロイス。
フロイスの明智光秀像として有名な文言「裏切りや密会を好み、策謀家である」があります。
つまり、明智光秀は悪人であるとしています。
興福寺僧侶・英俊
多聞院日記と呼ばれる興福寺の記録に、明智光秀に関する記載をした僧侶・英俊。
織田信長との直接的な関係は無かったとされ、第三者的な立場での意見を記載していると考えられています。
そんな英俊も明智光秀は悪人としています。
戦国時代を生きた人々にとって、明智光秀は善人ではなく、悪人であるというイメージが多数派であることが分かりました。
『麒麟がくる』から激変した『明智光秀』像を考察|まとめ
今回は、明智光秀はどんな人だったのかについて解説しました。
概ね明智光秀は悪人であるという結果に着地してしまいましたが、忘れてはならないことがあります。
それは、歴史は勝者が創ると言うこと。
勝者にとって都合の悪い歴史は、後世に伝わらないことを忘れてはいけません。
その一方で、判官贔屓という言葉があるように敗北者贔屓の日本人ですが、そんな我々からも好みが分かれてしまうのが明智光秀。
戦国武将の中で特異な存在である彼は、現代においても、その異端さを発揮しているように感じますね。
沢山の謎につつまれた悪人の敗北者として、これからも語り継がれていくのでしょうが、もしかしたら「麒麟が来る」で描かれたように、正義感が強く勇ましい人物だったのかもしれません。
▼主な参考文献