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織田信長の家紋7選!織田木瓜の由来や旗印との違い【2023年】
誰もが知る有名な戦国武将である織田信長(おだのぶなが)は、生涯で7つの家紋を使用していたと言われています。
なぜ信長は7つも家紋を持っていたのか?と疑問に感じる人もいるかもしれません。
この記事では、信長が生涯で使用していた家紋と代表的な織田木瓜(おだもっこう)、信長の旗印(はたじるし)について解説していきます。
織田家の家紋から信長への理解を深める機会にしていただければ幸いです。
織田信長の家紋で最も有名な「織田木瓜」
織田家の家紋として最も有名な家紋は、織田木瓜です。
5個の花柱を5枚の花びらが囲う配置は、バランスのよい1つの大きな花の形をしています。
木瓜紋は奈良時代に唐から日本へ伝わった模様で、多くの家で使用される10大家紋の1つです。
織田木瓜の由来
織田家が使用する木瓜紋は、織田信長の父である織田信秀(おだのぶひで)が尾張国の守護大名であった斯波(しば)氏から授かりました。
また、婚姻関係であった越前の朝倉氏の家紋が3つの木瓜模様を施した家紋であったことから、織田家でも木瓜紋を使用していくこととなります。
しかしながら朝倉氏とはその後敵対関係となったため、織田家は木瓜紋の使用を控え他の家紋を使用していくこととなりました。
織田木瓜以外で織田信長が使っていたとされる家紋6選
織田信長はその激動の人生のなかで、木瓜紋以外にも6つの家紋を使用しています。
家紋は武士にとって名刺代わりとなるほど名前と強い関係があり、その家の素性を表すものとされていました。
ここでは、織田信長が使用した家紋を6つ紹介していきます。
織田信長の家紋|①五三桐(ごさんのきり)
五三桐の家紋は、5枚の桐の花びらを3枚の葉で支える模様となっています。
信長が室町幕府15代将軍である足利義昭(あしかがよしあき)への恩恵として授かった家紋です。
桐の家紋は皇室ゆかりの模様として、格式の高い家紋と位置づけられています。
現在、桐紋は日本政府を意味する家紋として日本国のパスポートに使用されており、由緒ある家紋として認知されています。
織田信長の家紋|②永楽通宝(えいらくつうほう)
永楽通宝は、当時の通貨を表した家紋で、円の中に「永楽通宝」と印された家紋です。
当時の中国王朝が製造していた通貨が大量に日本へ輸入され、室町時代から江戸時代まで普及していました。
信長はこの家紋を自身の旗印としても使用しています。
長く普及したこの通貨を家紋の模様として使用することで、信長の貨幣に対する重要度が読み解けます。
織田信長の家紋|③揚羽蝶(あげはちょう)
揚羽蝶の家紋は1羽の蝶が描かれた家紋で、かつては平清盛(たいらのきよもり)が使用していた家紋です。
蝶は姿形を変えながら成長する姿から、縁起がよい模様とされています。
当時の実権は平氏と源氏が交互に握っており、源氏の系統である足利家の室町幕府を終わらせ、自分が天下統一するという意味を込めて、信長は平氏ゆかりの揚羽蝶の家紋を使用するようになりました。
織田信長の家紋|④十六葉菊(じゅうろくようぎく)
十六葉菊の家紋は、16枚の菊の花びらを描いた家紋です。
信長はこの家紋を正親町天皇(おおぎまちてんのう)から賜っています。
十六葉菊の家紋は、現在でも皇族が使用する由緒正しき格式のある家紋です。
信長は衰退の危機にあった朝廷を経済的に援助し、天皇もまた天下統一を目指す信長の後ろ盾となり両者は共存関係にありました。
この十六葉菊の家紋から、信長は朝廷の権力回復に重要な存在であったことがわかります。
織田信長の家紋|⑤丸に二つ引両(まるにふたつひきりょう)
丸に二つ引両は、円の上部下部と真ん中に線が引かれた模様の家紋です。
描かれている線は2匹の龍が天に登っていく様子を表しており、天下統一を意味しています。
この家紋はもともと足利家の家紋であり、足利家が手にした富の象徴とされていました。
13代将軍の足利義輝(あしかがよしてる)が殺害された後、義昭を擁立し室町幕府を立て直したことでその貢献が認められ、この丸に二つ引両の家紋が信長に与えられました。
織田信長の家紋|⑥無文字(むもじ)
無文字の家紋は、円の中に「無」の文字が印された家紋です。
1つの文字だけが施された家紋は、煩悩から解放された無心状態を意味しています。
信長以外にも、上杉謙信(うえすぎけんしん)や片倉景綱(かたくらかげつな)などの名だたる戦国武将がこの無文字紋を使用していました。
戦国武将の家紋については、下記の動画でも詳しく解説していますので、興味がある方はぜひご覧ください!
織田信長の家紋と旗印について
家紋は1家に1つと決まっておらず、自由に作ることも許されていました。
奉仕への褒美として扱われることもあったため、複数の家紋を持つ武将が多かったとされています。
信長は7つの家紋を場面によって使い分けており、同時に戦場での旗印にも使用していました。
ここでは信長が実際に戦場で使用していた旗印について解説していきます。
織田信長の旗印
信長が旗印に使用した家紋は「永楽通宝」の家紋です。
先に述べたように、中国王朝から輸入され日本で普及した通貨の模様が施された家紋です。
楽市楽座を始めたことや、数ある家紋の中でもこの家紋を旗印に使用していたことから、貨幣の流通に関心があり経済政策に力を注いでいたことがわかります。
信長はこの家紋を黒田官兵衛(くろだかんべえ)や水野信元(みずののぶもと)、仙石秀久(せんごくひでひさ)ら家臣にも与えたとされています。
▷織田信長が行った政策の狙いは?政治や経済への影響をわかりやすく紹介
織田信長の家紋と旗印の違い
複数の家紋を使い分けていた信長にとって、家紋は権力の象徴であり天皇や将軍との繋がりを明示するものでした。
旗印は通常、戦場で所在を明示する目印として旗に印す紋様です。
信長は旗印を目印としてだけではなく、己の行動指針や意図を示す印として掲げていたとされています。
織田信長の家紋7選!織田木瓜の由来や旗印との違い|まとめ
織田信長の7つの家紋と織田木瓜、旗印について解説してきました。
信長は新しい物が好きな性格もあり、活躍の場面が広がる度に家紋の数も増えていきました。
複数の家紋を使い分けることから、信長はあらゆる戦略や人格を備えた魅力的な人物であったことが紐解いていけます。
戦国の世を駆け抜け華々しく散っていった信長は、家紋とともに激動の人生を生きていたのです。