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最強の戦国武将は誰だ?歴史の専門家が各武将の強さを考察!
戦国乱世の中で数多くの戦いを繰り広げてきた武将たちの中でも「日本一の最強の戦国武将」とは一体誰なのでしょうか。
今回は、2020年10月にNHKで放送された「英雄たちの選択 スペシャル『プロが選ぶ“最強”の戦国武将』」をもとに歴史専門家が考察した各戦国武将の強さについて見ていきたいと思います。
目次
全国の戦国武将格付けランキング
前述した番組では、歴史研究者や歴史小説家など戦国時代の専門家に一斉アンケートを実施しました。
全国を九州ブロック、四国・中国ブロック、関西ブロック、中部ブロック、関東・東北ブロックの5つに分けて、アンケート結果をもとに各ブロックを代表する武将を決めます。
そしてスタジオに集まった論客が武将たちの地域性に着目しながら、武力だけでなく経済力や人間力などさまざまな視点から強さを格付けして日本一の最強の武将を選びました。
戦国の専門家たちが意見をぶつけ合った結果、一体誰が最強の武将に選ばれたのでしょうか。
ここからは各ブロックの格付け結果と上位3位までに入った武将について解説していきます。
九州ブロックの最強戦国武将
九州ブロックのランキングはこのようになりました。
1 | 立花宗茂 | 6 | 加藤清正 |
---|---|---|---|
2 | 島津義弘 | 6 | 龍造寺隆信 |
3 | 島津義久 | 8 | 小西行長 |
4 | 大友宗麟 | 9 | 鍋島直茂 |
4 | 立花道雪 | 9 | 高橋紹運 |
知名度は島津の方が高いように思いますが、1位は立花宗茂となりました。
上位3位までにランクインした武将がどのような人物だったのかを見ていきましょう。
1.立花宗茂
立花宗茂は豊後国(現在の大分県豊後高田市)に生まれました。
9位にランクインしている高橋紹運の嫡男で、後に4位の立花道雪に養子入りしています。
宗茂は島津に領地を脅かされますが、豊臣秀吉の配下として九州征伐に参戦し数多くの戦功を挙げました。
それによって宗茂は秀吉から「九州一の忠義と武勇を持つ武将」だと称えられます。
関ヶ原の戦いでは西軍について敗北しますが、かつて東西で並び立つとされた本多忠勝の推挙によって江戸城に召し出され、徳川政権下で大名として復活を果たしました。
今回のランキングでは、やられては復活する不屈の力が評価されたのかもしれません。
2.島津義弘
島津義弘は戦上手で有能だったとされる島津四兄弟の次男です。
義弘は兄である義久たち兄弟とともに薩摩国を平定した後、大隅国(現在の鹿児島県)・日向国(現在の宮崎県)と九州南部三州を制圧し、九州統一の後一歩のところまで迫りました。
しかし豊臣秀吉の九州征伐に敗れ降伏することになり、秀吉の配下となった後は朝鮮出兵に出陣して功績を残します。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは西軍として参戦して敗北しますが、何千何万もの徳川軍をたった500程度の兵で正面突破しました。
規格外の強さと行動力を持った勇猛な武将だったと言われています。
3.島津義久
島津義久は島津四兄弟の長男で島津家16代当主です。
義久は内紛が絶えなかった島津一族をまとめあげ、四兄弟とともに九州制圧の後一歩のところまで迫りました。
義久は戦に出ることは少なかったのですが、島津軍総司令官として後方で弟たちを指揮して数々の戦で島津軍を勝利に導きました。
豊臣政権の配下になった後は冷遇されますが、徳川政権で復権し幕末まで島津氏の領地となる薩摩を江戸幕府から守り抜いた人物です。
四国・中国ブロックの最強戦国武将
続いて、四国・中国ブロックのランキングはこのようになりました。
1 | 毛利元就 | 5 | 尼子晴久 |
---|---|---|---|
2 | 長宗我部元親 | 5 | 大内義興 |
3 | 小早川隆景 | 8 | 毛利輝元 |
4 | 山中鹿介 | 9 | 吉川元春 |
5 | 尼子経久 | 9 | 宇喜多直家 |
毛利元就が1位というのは文句なしの結果と言えるのではないでしょうか。
それでは3位までにランクインした戦国武将とその強さについて見ていきたいと思います。
1.毛利元就
毛利元就は戦国時代の初期に安芸国(現在の広島県西部)に生まれました。
同年代には美濃(現在の岐阜県)の斎藤道三などがいます。
最初は大内氏・尼子氏という二大勢力に挟まれた弱小領主だった毛利家でしたが、元就は一代にして中国地方統一を成し遂げました。
「謀神」と呼ばれるほど権謀術に長け、稀代の策略家としても評価されている人物です。
2.長宗我部元親
長宗我部元親は土佐国(現在の高知県)を平定し、一代にして四国統一寸前までいった武将です。
父である国親が急死した後、元親が後を継ぎ土佐を制圧しますが、土佐は山が多くて平地が少なく土佐だけでは心もとなかったこともあり、元親は四国統一を目指しました。
秀吉との戦いに負けたことによって最終的には土佐一国の領主に戻ってしまいましたが、元親には四国の覇王となり得る力がありました。
さらに元親は農民であっても常に武器や鎧を持ち歩き、農業をしながら呼ばれたら戦に行く「一領具足」というシステムを開発しています。
土佐という山だらけのあまり豊かではない土地からスタートして、三好や毛利そして豊臣という名将たちと戦ったという点でその強さを評価されていると考えられます。
3.小早川隆景
小早川隆景は1位にランクインしている毛利元就の三男です。
非常に頭がよく元就の知略を引き継いでおり、豊臣秀吉やその軍師である黒田官兵衛からも知将として重用された戦国武将です。
豊臣政権下でも上手いこと立ち回り、毛利家を存続させることに成功します。
秀吉の天下統一を全力で支え、朝鮮出兵でも活躍しました。
隆景がいなければ毛利家はつぶされていたかもしれないと言っても過言ではない人物です。
関西ブロックの最強戦国武将
続いて関西ブロックのランキングはこのようになりました。
1 | 黒田官兵衛 | 6 | 藤堂高虎 |
---|---|---|---|
2 | 松永久秀 | 7 | 浅井長政 |
3 | 石田三成 | 7 | 六角義賢 |
4 | 三好長慶 | 7 | 大谷吉継 |
5 | 明智光秀 | 10 | 細川幽斎 |
1位は黒田官兵衛となりましたが、悪人としてのイメージが強い松永久秀が2位に入っていることは驚きですね。
それでは3位までにランクインした戦国武将について見ていきましょう。
1.黒田官兵衛
黒田官兵衛は播磨国(現在の兵庫県姫路市)に生まれ、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という3人の天下人に仕えた戦国武将です。
信長が明智光秀に討たれると、官兵衛は秀吉に「天下が取れる好機だ」と言って戦っていた毛利氏との講和を進言し、「中国大返し」を促して明智軍を討伐しました。
戦わずに敵を降伏させるという稀有な才能に長け、軍師として秀吉の天下統一に大きく貢献した戦国武将として高く評価されています。
2.松永久秀
4位にランクインしている三好長慶の家臣として出世していったのが松永久秀です。
日本史上の悪人と言えば必ず名前が挙げられる人物でもあります。
主家である三好家を乗っ取り、室町幕府13代将軍である足利義輝を暗殺し、東大寺の大仏を燃やしたという三大悪事を働いたことでも有名です。
最近ではその評価が変わっており、実は忠臣だったのではないかとも言われています。
非常に不安定な大和国(現在の奈良県)で、筒井順慶などの地元に根付いている宗教勢力と戦っていたという点でその強さが評価されたのでしょう。
3.石田三成
14歳で豊臣秀吉のもとに仕えた石田三成は主に外交官として活躍します。
秀吉が行った「太閤検地」などの政策も積極的に推進し、秀吉の天下統一に貢献しました。
秀吉の死後は関ヶ原の戦いで西軍を率いますが、味方が次々と徳川家康率いる東軍に寝返ったことで敗戦し、東軍によって処刑されてしまいました。
関ヶ原の戦いで西軍を率いて戦ったという点でその強さが評価されたのかもしれません。
また、「実は石田三成と徳川家康は仲良しだったのではないか?」という説も出てきています。詳しくは以下の記事で解説しています。
徳川家康と石田三成は仲良しだった?関ヶ原の戦いの名将2人を比較
中部ブロックの最強戦国武将
激戦区の中部ブロックの結果はこのようになりました。
1 | 織田信長 | 6 | 武田信玄 |
---|---|---|---|
2 | 徳川家康 | 7 | 本多忠勝 |
3 | 豊臣秀吉 | 7 | 真田信繁 |
4 | 真田昌幸 | 7 | 今川義元 |
5 | 上杉謙信 | 7 | 朝倉宗滴 |
1位・2位・3位が三英傑という結果になっていますね。
その3人の強さについて改めて見ていきましょう。
1.織田信長
尾張国(現在の愛知県名古屋市)に生まれた信長は、兵農分離や楽市楽座などあらゆる新しいことを始めた革新者だったと言われています。
信長の一番の大金星は「東海の雄」とも言われる今川義元と激突した桶狭間の戦いです。
2万以上の兵を率いてやってきた今川軍を織田軍は半分以下の兵で奇襲をかけて打ち勝ったとされています。
桶狭間の戦い後は美濃を平定、足利義昭を奉じて上洛するなど大躍進していきました。
長篠の戦いでは戦国最強とも言われた武田軍の騎馬隊を鉄砲三段撃ちという新しい戦法を使って大勝利を収めます。
1582年の本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいますが、天下布武を目指して新しいことを次々と取り入れた信長は、その後の歴史を大きく変えたという意味でも戦国一の強さを持った武将だと言えるかもしれません。
織田信長については、他の記事でも解説しているので、是非こちらも合わせてご覧ください。
織田家のルーツ!若き織田信長『下剋上』&『兄弟殺し』家系図も紹介
2.徳川家康
徳川家康は2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」でも取り上げられていますね。
幼少期は今川家で人質生活を送っていましたが、桶狭間の戦い後は今川から独立して三河を平定し、織田家の家臣として活躍していきます。
豊臣秀吉と対立した小牧・長久手の戦いでは秀吉に有利な形で講和することとなり、その後秀吉に臣従することになります。
それでも関東で着実に力を付けていった家康は秀吉の死後に勃発した天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いで勝利を収めました。
戦国乱世に終止符を打ち、江戸幕府を開いて天下統一を果たした徳川家康。
不遇な時代を耐え続けた結果、最終的に天下人となった家康の強さが評価されていると考えられます。
徳川家康については、他の記事でも解説しているので、是非こちらも合わせてご覧ください。
徳川家康の死因は戦ではなく胃がん?鯛の天ぷらを食べすぎた説も調査
大阪冬の陣・夏の陣をわかりやすく解説!徳川家康は豊臣を滅ぼす気はなかった!?
父・徳川家康に処分された松平信康の真相とは?本当に殺人鬼だった?
3.豊臣秀吉
尾張国の貧しい農家に生まれたとされる豊臣秀吉ですが、織田家の家臣として仕えると信長の側近として出世していきます。
織田・徳川連合軍と朝倉義景率いる朝倉軍が激突した金ヶ崎の戦いでは、信長の義弟である浅井長政に裏切られ織田軍は窮地に追い込まれますが、秀吉は最も危険な任務とされる殿(しんがり)を務めあげ信長を救出することに成功しました。
本能寺の変で信長が討たれた後、秀吉は中国攻めを中断して約200㎞の距離を1週間で移動して明智光秀を討ち取ったと言われています。
信長の死後、織田家の内部抗争に勝利した秀吉は全国の有力な武将たちを味方につけ、朝廷からは関白、そして太政大臣にも任命され天下統一を成し遂げました。
豊臣秀吉の性格についてエピソードを交えて考察した記事もございますので、気になる方はこちらも是非ご確認ください。
豊臣秀吉はどんな性格だった?史実の残るエピソードを紹介!
関東・東北ブロックの最強戦国武将
最後の関東・東北ブロックの結果はこのようになりました。
1 | 伊達政宗 | 6 | 佐竹義宣 |
---|---|---|---|
2 | 北条氏康 | 6 | 最上義光 |
3 | 北条早雲 | 8 | 佐竹義重 |
4 | 直江兼続 | 9 | 上杉景勝 |
4 | 蒲生氏郷 | 9 | 太田道灌 |
北条早雲と北条氏康を抑えて伊達政宗が1位という結果になりました。
それでは上位3位に入った各武将について見ていきたいと思います。
1.伊達政宗
伊達政宗は出羽国(現在の山形県と秋田県)出身の武将で、「独眼竜政宗」の異名でも知られています。
奥州伊達氏の家督を継ぐと、わずか数年の間に福島・山形・宮城の3県にわたる広大な勢力圏を構築しました。
関ヶ原の戦い後は、仙台藩初代藩主となり東北の繁栄を築いた戦国武将として評価されています。
伊達政宗については、以下の記事で詳しく解説しておりますので、是非こちらも合わせてご覧ください。
伊達政宗の死因は?亡くなった場所や辞世の句、政宗の生涯を振り返る
2.北条氏康
北条氏康は「相模の獅子」とも呼ばれ、武田信玄や上杉謙信の攻撃を跳ね返したと言われる猛将です。
1545年に今川氏などの関東の諸勢力が大群を率いて北条家に進攻しますが、氏康は8千の部隊のみで夜襲をかけ10倍の敵を撃破しました。
この戦いは北条家の名を大きく上げることにつながり、さらに氏康は関東一帯の支配を確立していきました。
また他の武将に先駆けて土地を調べて税金を決める検地を本格的に実施していたなど、政治家としても優秀だったと言われています。
3.北条早雲
北条早雲は戦国時代の北条家の始まりと言われる人物で、「戦国時代の先駆者」とも呼ばれています。
今川家の家臣となりその地位を高めて領土を得ると伊豆国を手に入れ、さらに小田原城を乗っ取ります。
ここを拠点として周辺への勢力を広げていき、相模国(現在の神奈川県)の統一を果たしました。
最強の戦国武将は誰だ!?
こうして各ブロックごとに戦国武将が格付けされたのですが、番組ではスタジオに集まった専門家が意見を交わして改めて各ブロックごとの代表を決定し、その代表を比較しました。
最終的な各ブロックの代表は次の通りです。
そしてこの5人で争った結果、1位は豊臣秀吉となりました。
低い身分から信長の側近として大出世し、最終的には織田信長の子や孫たちさえも臣従させ、悲願の天下統一を成し遂げたその実績が評価されました。
身分に関係なく何としても這い上がる秀吉の強さは、まさに最強の戦国武将だと言えるでしょう。
以下の記事では、豊臣秀吉の天下統一の経緯など詳しく解説していますので、是非こちらも合わせてご覧ください。
豊臣秀吉はいかにして天下統一を果たした?天下までの戦いや死因を解説
最強の戦国武将は誰だ?歴史の専門家が各武将の強さを考察!|まとめ
今回の番組では武力の強さだけではなく様々な視点で考察したところ、最強の戦国武将には豊臣秀吉が選ばれました。
一方で「戦国武将の強さ」というのを定義することは難しいものですよね。
小さい部隊を率いる武将と、大きい国をまとめる大名とではまた強さの意味合いも変わってきますので、一概に誰が1位というのは決めづらいところでもあります。
ぜひみなさんも自分の中の最強の戦国武将を見つけてみてくださいね。
戦国武将の身長を解説している記事も人気です。
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