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藤原斉信とは?スーパーエリートなのに遅刻魔?人物像を紹介!
平安時代の貴族で公卿・歌人として活躍した藤原斉信(ふじわらただのぶ)。
あまり聞き慣れない名前かもしれませんが、実は当時の最高権力者である藤原道長の右腕として政治に携わったスーパーエリートなのです。
平安時代中期が舞台となる来年の大河ドラマ『光る君へ』にも登場する人物で、はんにゃ・金田哲さんが演じることが決まりました。
藤原斉信とは一体どのような人物なのでしょうか。
今回は当時の史料に書かれている様々なエピソードを現代風に解釈しながら、藤原斉信の魅力溢れる人物像を解説していきます。
目次
清少納言も惚れた!?藤原斉信は絵に描いたような貴公子
初めに注目すべきは藤原斉信の容姿。
斉信は絵に描いたような貴公子と称されるほどイケメンだったと言われています。
現代でも容姿が優れていて気品のある男性を貴公子と呼んだりしますが、斉信はまさに本物の貴公子であり、枕草子の作者・清少納言も惚れこむほど。
実際に清少納言は、斉信が縁側で片膝を立てて座っている姿があまりにも絵になると枕草子に書いているのです。
斉信のかっこよさは世間でも評判で、当時は相当モテていたのではないでしょうか。
かつて吉本のプリンスとも呼ばれた金田さんが『光る君へ』で演じる役にはぴったりかもしれませんね。
藤原道長の右腕として活躍した藤原斉信
とにかくイケメンだったと評判の藤原斉信ですが、その魅力は容姿だけではありません。
時の権力者・藤原道長の右腕として活躍し、政治能力にも優れていました。
斉信は四納言と称される道長政権を支えた公卿としても有名です。
四納言とは?
藤原道長を支えた4人の大納言(権大納言)
- 藤原斉信
- 藤原公任
- 藤原行成
- 源俊賢
そして、何といっても斉信と道長は生涯にわたって公私共にべったりの関係だったと言われています。
まずは2人の関係性が分かるエピソードを見ていきましょう。
藤原道長によって跡継ぎに抜擢
斉信と道長は1歳違いの幼馴染であり、若い頃から仲がよかったと言われています。
次男として生まれた斉信ですが、品格や人望に優れていたため道長によって跡継ぎに抜擢されました。
本来は長男が選ばれるため、当然斉信の兄は拗ねてしまい、怒りのあまり拳を握りしめすぎて指が手のひらを貫通したという逸話が残るほど悔しがっていたようです。
道長と斉信は常に一緒
昼は政務・夜は詩会を催し、常に一緒にいたとされる2人。
詩会とは?
和歌を歌いあう平安時代の宴会行事
当時の詩会は仕事の延長のようなもので、現代に例えると仕事終わりの飲み会・2次会のカラオケといったところでしょうか。
常に一緒にいすぎて周りから嫉妬されるほど仲が良かったようです。
ある時天皇の御所が火事になり天皇中宮の妃が住む場所がなくなってしまい、占い結果によって斉信の家が仮住まいの場所候補になった時には、快く自邸を提供し道長が大変喜んだという記録も残されています。
道長の湯治に同行
晩年の出来事では、道長が湯治で有馬温泉に行くことになると、突然斉信も調子が悪いと言いだし一緒に湯治についていったそうです。
斉信の体調の真相は分かりませんが、道長についていきたい斉信の仮病なのではないかという説が囁かれています。
60歳を超えた晩年になっても、道長を大好きなことが伝わってくるエピソードですね。
斉信の怪我を道長が2度見舞いする
道長愛溢れる斉信ですが、道長もまた斉信のことを大事にしており、斉信が歩いている途中に上から木の枝が落ちてきて顔を怪我した際には2回もお見舞に行ったと記録されています。
2回もお見舞するとは、まさに相思相愛の2人ですよね。
さらに、斉信が道長の子・長家に自分の子供を嫁がせようとした記録もあります。
長家が奥さんを失ったタイミングで娘を差し出したため、さすがに周りの批判も多かったようです。
もちろん斉信が有能だったからこそ大事にされているのですが、あまりにも仲が良すぎる故に多くの嫉妬や批判を買ってしまったとも言えますね。
何より出世欲が強かったとされる斉信。
斉信の父・為光は太政大臣まで昇りつめた後に失脚しており、自分が父のようにならないためにも人一倍出世欲が強かったのかもしれません。
実資曰く、藤原斉信は失礼者
藤原斉信の父が栄華の先に没落しているように当時の政界は相当ドロドロしており、当然のごとく斉信のことを悪く言う人物が登場します。
斉信のライバル、小野宮実資(おののみやさねすけ)です。
実資は非常に真面目な人物だったと言われています。
政治能力は高いものの詩会はあまり好まなかったようで、詩会をしまくっている斉信のことを常に批判していたようです。
現代で言えば、いつも飲み会ばかりして遊んでいるチャラい奴という印象を持っていたのかもしれません。
ここでは実資の日記に書かれている斉信の悪口をいくつかご紹介します。
大切な詩会に遅刻
実資曰く、斉信は度々失礼なことをしているようで、大切な詩会に遅刻をしたというエピソードが残っています。
斉信主催の大会にも関わらずまさかの遅刻、遅れてやって来たと思ったら別の人に少し挨拶してすぐに帰ってしまったそうです。
真面目な実資からしてみれば主催者が遅刻するなど有り得ない話で、あいつは何なんだ?といった感じでしょうか。
分をわきまえない振る舞い
斉信が相撲を主催した時の話ですが、普通は1回やったら終わりのところ、斉信は面白いからと相撲や布引きを何回もやらせたようです。
布引きとは?
1対1の綱引きのようなもので布を力士同士で引っ張らせる競技
平安時代の相撲は楽しむという目的ももちろんありますが、神事であり神様に捧げる競技でした。
当時中将軍だった斉信は、相撲二番や布引きを主催できる身分ではありません。
本来はもっと偉い立場でないと勝手に予定変更することはできないため、実資は斉信の振る舞いを失礼で立場をわきまえていないと批判しています。
実資の不幸を大喜び
さらに実資が転んでケガをした際、斉信は大喜びしてよからぬ祈祷を始めたそうです。
もっと悪くなれといったおふざけでしょうか。
実資の被害妄想も若干入っているかもしれませんが、人の不幸を笑うのは少し悪ふざけが過ぎる気もします。
宇佐使いの派遣を凡ミスで大失敗
政治能力が優れていた斉信ですが、宇佐使いの派遣時に起きた政治面での凡ミスエピソードもあります。
宇佐使いの派遣とは?
九州の宇佐神宮に京都から進物をもっていき神様に捧げる行事
宇佐使いの際は宇佐神宮の近くにある香椎神宮にも連絡するという決まりがある
斉信が宇佐使いの派遣を担当した時、当時の決まりをしっかり調べなかったために香椎神宮への連絡を怠り、この連絡ミスによって現場は大騒ぎになってしまいました。
政治能力が高いと聞くと何事も完璧なイメージがありますが、実は人間らしい一面も持っているのですね。
それでも頼りになる男・藤原斉信
実資には散々に批判されている藤原斉信ですが、もちろんかっこいい一面もたくさんあり頼りになる人物でした。
実は熱い男だったとも言われている斉信の話を紹介します。
漢気溢れる藤原斉信
斉信が藤原頼隆という人物を特待生に推薦した際、周りからは素性も分からない奴を特待生にして大丈夫なのかと批判されたそうです。
その際、頼隆が政治家として大成しなければ自分のことをほら吹き野郎と言いふらしてかまわないから特待生にしてくれと後輩を引っ張ったと言われています。
その後輩が本当に出世したかはさておき、とても後輩思いで漢気溢れる行動ですよね。
ライバル実資も認めた政治能力
珍しく実資が斉信を頼りにしていたエピソードも残っています。
ある日の政務に来なかった斉信に理由を聞くと、前日にニラを食べ過ぎてしまい臭うので前に出たくないと言ったそうです。
当時から臭いに対する気遣いやエチケットがあったのでしょうか。
この時、実資は斉信抜きで政務するのではなく斉信のニラ臭さが散じるまでみんなで待とうと提案し、待ってあげたそうです。
斉信のことを散々批判しながらも、斉信がいなければ話が進まないと判断するほどその政治能力は認めていたようですね。
数多くのエピソードから、斉信が人間味溢れる魅力的な人物だったことが分かります。
藤原斉信とは?スーパーエリートなのに遅刻魔?人物像を紹介!|まとめ
藤原斉信のことを現代風に表すならば、エリートでイケメンとまさに非の打ち所がないハイスペック男子です。
藤原道長の右腕として政治能力を発揮する一方で、遅刻癖があったり凡ミスをしたりと、人間味溢れる一面もあることが分かりました。
藤原斉信のエピソードを知れば知るほど現代に通じるものがあり、1000年前の平安時代を生きた人物ながら親近感が湧いたのではないでしょうか。
来年の大河ドラマ『光る君へ』では、斉信がどのように描かれるのかにも注目が集まります。
これを機に平安時代に興味を持つ人が増えるといいですね。