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戦国時代の武器!その歴史と戦場での使われ方【刀/弓/槍/鉄砲/石】
戦国時代と言えば、思い浮かべるものはどういったものでしょうか?
丁髷・武将…はたまた合戦を想像した方も多いのではないでしょうか。
そんな合戦に欠かせないアイテムなのが、武器。
戦国時代にどのような武器を用い戦を行っていたかについて学ぶ機会はそう多くないでしょう。
そこで、今回は戦国時代の武器とその歴史、戦場での使われ方について解説していきます。
武士の魂・刀
武士の魂とも言われる刀。
その歴史は武士が出現し始めた平安時代から始まったと言われています。
その後1876年(明治9年)に廃刀令が発令されるまで、武士の魂は輝き続けました。
そんな刀の種類と戦い方について見ていきましょう。
太刀・打刀・脇差…何をいつ使う?刀の種類と戦い方
刀の種類はどれくらいあるのでしょうか。
用途によって使い分けられていた刀の種類は大きく四つです。
名称 | おおよその大きさ | 主な使い方 |
---|---|---|
太刀(たち) | 70〜80cm | 馬上からの攻撃 |
打刀(うちがたな) | 60cm | 太刀と同じ役割 太刀と比べ咄嗟に抜刀しやすい |
脇差(わきざし) | 30cm | 予備の武器として使う |
短刀(たんとう) | 30cm以下 | 組合になった時 首を掻き切る時 |
鎌倉中期移行は太刀よりも打刀を使用する武将が多く見られましたが、朝倉家臣・真柄直隆(まがらなおたか)のような力自慢の猛将は大太刀を振い続けていたという記録も残っています。
刀の構造
日本刀は鋭い切れ味で曲がりにくく折れづらい為、武器として非常に優秀なアイテムでした。
その性能の良さの秘密は、心鉄(しんがね)と皮鉄(かわがね)を合わせて造る特殊な製法にあります。
柔らかい心鉄(しんがね)と硬い皮鉄(かわがね)を合わせて良い刀を造る技術を身につけるのは簡単ではない為、刀鍛冶はこぞって腕を磨きました。
その過程で虎徹(こてつ)や孫六(まごろく)といった名刀も出現。
原始の飛び道具・弓矢
そもそも弓矢は原始時代に動きの早い獣を狩る為に発明されました。
その後も妖魔を払い退けるための儀式や武士の嗜みとしてその技術が継承されました。
平家物語の那須与一(なすのよいち)のエピソードが有名なように戦闘以外の場面においても、弓矢が武将にとって欠かすことの出来ないアイテムだったことが分かります。
大河ドラマでは、鷹狩りで弓矢を使用するシーンがよく登場しますよね。
そんな弓矢が戦国時代にどのように使用されたのか見ていきましょう。
弓矢が鉄砲伝来後も重宝された理由とは?
材料として木や竹を使用して造られた戦国時代の弓矢は射程距離50m程度だったと言われています。
より長い距離を飛ばす為には技術が必要であったと考えられます。
中距離攻撃が可能な為、まずは敵部隊に弓矢を射掛けるのが一般的な合戦の始まり方でした。
鉄砲登場後も、戦で武器として使用され続けた弓矢。
戦国時代の合戦を想像した時に、弓矢が使用されているイメージは浮かびやすいですよね。
戦国の万能武器・槍
万能武器として知られる槍は、戦国時代の武器として最もポピュラーなものでした。
豊臣秀吉に仕えた加藤清正(かとうきよまさ)・真田幸村(さなだゆきむら)などが槍の使い手として知られています。
槍が戦闘に本格的に使用され始めた時期は鎌倉時代末期とされており、イメージよりも遅い印象があります。
根拠として、元寇の対応に苦戦した鎌倉幕府御家人たちが集団接近戦を有利に進める為に造り出したものであるということが挙げられます。
そんな槍にも種類があるのはご存知でしたか?
槍の種類について見ていきましょう。
加藤清正!真田幸村!戦国時代に使用された槍の種類
戦国時代の槍の長さは通常2~3m程だったと言われています。
そんな中で、織田信長は6mの槍を振るったとされていますから、その戦闘技術の高さが伺えます。
名称 | 使用者 | 主な特徴 |
---|---|---|
直槍(ちょくそう) | – | 穂先がシンプルな形態 |
片鎌槍(かたかまやり) | 加藤清正 | 真っ直ぐな穂先と片側に伸びた鎌が特徴的な形態 |
十文字槍(じゅうもんじやり) | 真田幸村 | 真っ直ぐな穂先と両側に伸びた刃先が特徴的な形態 |
竹槍(たけやり) | 30cm以下 | 竹の先端を切っただけのもので性能が貧弱なため、使用を禁止する軍もあった |
槍は造るためのコストも高くなく、扱いやすい武器であるため合戦の主要武器として重宝されました。
応仁の乱で活躍した朝倉孝景(あさくらたかかげ)が「高価な名刀を買うより安価な槍をたくさん買った方がいい」という言葉を残したと言われています。
「日本一の最強の戦国武将」について考察した記事もございますので、是非こちらも併せてご覧ください。
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天下を制する武器・鉄砲
鉄砲は1543年(天文12年)にポルトガル人により伝えられた武器。
その存在は、合戦の在り方を大きく変えました。
しかし鉄砲を使う為には鉛の玉や火薬が必要とされており、それらを手に入れる為に貿易を行う必要
がありました。
織田信長や豊臣秀吉の強さの秘密は、貿易を行っている堺の町をおさえていた所にあったのです。
合戦における鉄砲の優位性
鉄砲の有効射程距離は200~300mです。
鉄砲の出現により攻撃範囲がかなり広くなったことが分かります。
そんな鉄砲が使用された合戦として長篠の戦いを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
織田信長が鉄砲で敵軍を圧倒したと言われる長篠の戦いについてはこちら
長篠の戦いはウソだらけ?真実や戦いの流れ、戦法をわかりやすく解説
鉄砲を装備した織田軍に武田軍が一方的にやられたイメージが強いかもしれませんが、実は武田軍も長篠の戦いにおいて鉄砲を使用していました。
しかし、経済力の差から多くの鉄砲を所持できなかった武田軍は敗退し、滅亡の道を辿ることとなりました。
圧倒的な破壊力・大筒
大砲とも呼ばれるこの武器の強みは爆発的な攻撃力と長距離攻撃を行える所にあります。
弓矢・鉄砲の非ではない破壊力で堅牢なお城の石垣さえも破壊する最強武器。
しかし製造コストがかなりかかる点・扱いも大変であった点から、限られた大名しか使用することが出来ませんでした。
そんな限られた大名である大友宗麟が「国崩し」という名の大砲を用い、島津軍を撃退したことは有名ですよね。
大阪の陣にて徳川家康が使用!その破壊力に豊臣家は…
大砲の射程距離は400〜500mと言われている為、かなり遠くの敵への攻撃も可能になったことが分かります。
実際に徳川家康と豊臣秀頼が対峙した大阪の陣では徳川家康の使用した大砲が、大阪城の一部を破壊しました。
大阪の陣について詳しくはこちら
大阪冬の陣・夏の陣をわかりやすく解説!徳川家康は豊臣を滅ぼす気はなかった!?
その破壊により城内へ甚大な被害が及び、見兼ねた淀殿が徳川方への和睦を決断したと言われています。
淀殿とは?
茶々姫の名で知られる近江国の武将・浅井長政(あざいながまさ)の長女。
父の仇である豊臣秀吉の側室を務め、嫡男の豊臣秀頼を産んだ。
コスパ最強・石
戦国時代の戦で使用された武器で最も調達が容易だったのが、石。
大きな石を拾い集めてくるだけなので、コストがかからず、コスパ最強の武器として戦国時代において使用されています。
投石は当たりどころが悪ければ敵に致命傷を与えることも可能です。
また、敵軍に顔を上げさせない狙いもあり、有効な武器として活用されました。
戦国時代の武器!その歴史と戦場での使われ方|まとめ
今回は戦国時代の武器!その歴史と戦場での使われ方について解説しました。
想像しているよりも多くの武器を戦国武将が使用していることが理解できたのではないでしょうか。
戦国時代の合戦で石を投げたり、鉄砲を使用する様子に武士らしさは感じられないような気がしますが、武功をあげるためには、様々な手を使うことも必要だったのでしょう。
有効な手段を残しつつ、新しいものを取り入れる武士の姿勢を私たちも見習うべきかもしれませんね。
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▼主な参考文献